私は、最近youtubeでゲーム実況動画を投稿している。
しかし、つい先日、事件が発生した。
私のペルソナ5に毎回アドバイスコメントをしてくださる方がいた。
毎回コメントをくれる有難い方なのだが、私はふと1つの疑問が浮かんだ。
「俺の動画楽しんでくれているのかな…?」
毎度視聴して気になった点や改善すべき点をコメントするのはものすごく労力が必要だと思う。
視聴者数が少ないこの動画にそこまで労力を費やしていただけるとは奇特な方だなと思ったのが正直なところだ。
というのも普段、私はよくゲーム実況動画を見るのだが、基本的に指摘や指導を行うコメントを見たことがない。
FPS系や対人戦型ゲーム(DBDやマリオカート)で見ることはあるが他のコメントに反論されるか触れられず下の方に埋まっているかだ。(建設的な指摘から「下手くそ」などのすべてのコメントを含む)
もちろん、「下手すぎ…○○したほうがいい」というコメントがかなりのいいねをもらっていることもある。
ということもあり、私はだんだん自分の動画とコメントに不安を持つようになった。
「面白いと思って見ているのか?それとも指摘、指導することで初心者を導いていくことを目的としているのか?」
そして、仕事で疲れて、家に着き、youtubeの自身の動画にアドバイスコメントがついたときそれは爆発した。
私は、キャスでコメント欄にアドバイスコメントについての愚痴を吐いた。
するとそのキャスをその米主が聞いていたようで、キャスで陰口を叩くようならyoutubeのコメント欄で反論してほしい旨をyoutubeのコメント欄でコメントされた。
私は、それに対して謝罪のコメントをyoutubeのコメント欄で行った。
さて、ここでこの米主と私とでyoutubeのコメント欄に対しての考え方のミスマッチが起こっている。
整理すると以下のようになる。
私
コメントについて投稿者側からリプをすることがあっても、コメントを規制するような発言はするべきではない。仮に他の視聴者が不愉快と感じるものであっても、それは他の視聴者が判断して淘汰されていくものであるから(←私のチャンネルでそこまでのマンパワーがあるかは疑問だが)
だからこそ、別の媒体で愚痴を内々に行った(キャスを内々だと判断したのは私のミスであった)
コメント者側
他の視聴者が不愉快に感じると判断するならばコメント欄で投稿者が反論すべき。
また、動画に対しての考え方にもミスマッチが起こっていたように思う。
コメ主は、序盤で私が苦戦しているのを見て、アドバイスを行なっていたとコメントされていた。
私は、この動画を初見プレイでのリアクションや悪戦苦闘をのんびりと楽しんで見て欲しかった。
そのため、アドバイスコメントは有難いものではあったが、「楽しんで見る」ということが(はっきりと)見えなかったコメントに不安を抱いた。
この点に関しては、異なった見方、楽しみ方を許容できなかった私が全面的に悪いと考えている。ここで改めて謝罪の意を伝えたい。
さて、ここでタイトルの話に入りたいと思う。
動画とは…
誰のためのものであるのか。
投稿者自身のためのものか、それとも視聴者のためのものか、
投稿者が面白いと思ったものを作って視聴者から意見があれば、それに合わせるべきなのか
投稿者が面白いと思うものを作り続けるべき?
視聴者の声を反映して作り上げていくべき?
一晩考えていたが(←短いかもしれない)、分からなかった。
今まで、私は自分が面白いと思ったものを評価して欲しかったし、そうしてきた。ただコメントが付くことで視聴者に合わせる動画を作ったほうが面白いのだろうか。
わからない。
まったくわからない。
なので、もし、次に動画を投稿する際は、今のアカウントでなるべくみんなが楽しめる(と私が思う)動画を投稿し、新しくつくるアカウントで他人の意見をまるで聞かない自分の腐った部分を前面に出した動画を投稿しようと思う。
ということで、早朝、やけに目が冴えて眠れなかった男の言葉の掃き溜めでした。
お目汚し失礼いたしました。