バルバロムの思考迷路

思ったことを書く。いいことも悪いことも。要は掃き溜め

日本シリーズ面白さランキング(点数化して客観的にランキングするとどうなるか)_2023年シリーズ終了時点

 

 

2011年、アメリカで、ワールドシリーズについての評価を点数化したものが現れた。

『ハードボール・タイムズ』のクリス・ジャフは、主観的ではなく定量的な評価を行った。彼は歴代のポストシーズン各シリーズについて「1点差試合は3ポイント、1-0の試合ならさらに1ポイント」「サヨナラゲームは10ポイント、サヨナラが本塁打によるものならさらに5ポイント」「7試合制のシリーズが最終戦までもつれれば15ポイント」などというように、試合経過やシリーズの展開が一定の条件を満たすのに応じてポイントを付与することで、面白さの数値化を試みた。その結果、この年の両リーグ優勝決定戦まで全262シリーズの平均が45ポイントのところ、今シリーズは107.7ポイントを獲得した。これはワールドシリーズでは史上5位、地区シリーズやリーグ優勝決定戦を含めた全263シリーズ中でも13位の高得点となった。(2011年のワールドシリーズ#評価より引用)

 

日本でも、この点数化システムをもとに日本シリーズ名勝負ランキングを作成し、スレを立てたものがいた。

http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1360497449/

http://mylife.2chblog.jp/archives/26788927.html

 

熱戦続きの2021日本シリーズが終了した今、今年の日本シリーズはどのくらい熱かったのか、散々な言われような去年おととしはどうだったのか調べたいと思い、以下ルールを元に計算しランキングを作成した。

(基本的に上記スレのコピペだが、加筆・修正あり)

 

※2023年日本シリーズ終了後加筆修正しました。

 

 

採点ルール

  • どちらかのチームが先に王手をかけてから2試合目・3試合目・4試合目にそれぞれ5pt
  • 1点差試合は3pt、1-0ならさらに1pt。2点差試合は1pt
  • サヨナラゲームは10pt。それがホームランでのサヨナラならさらに5pt
  • 9回に同点に追いつけば6pt、同点から勝ち越せば7pt。負けているチームが一挙逆転で計13pt
  • 8回に同点に追いつけば3pt、同点から勝ち越せば4pt。負けているチームが一挙逆転で計7pt
  • 延長戦に入れば基礎点としてまず3pt。さらに1イニングごとに4pt

(延長10回は7P、延長11回は11pt・・・・)

  • 延長の表に勝ち越されたチームが裏で追いつけば5pt。逆転サヨナラでさらに5pt
  • シリーズの総試合数が7試合なら15pt。6試合なら5pt、5試合なら3pt、4試合は0pt
  • もし8試合目があったら20P 
  • 零封勝利は2pt。1投手による完封勝利はさらに1pt。ノーヒッターは10pt、完全試合ならさらに10pt
  • 1安打試合は5pt。2安打試合は3pt。3安打試合は1pt。4安打試合は0.5pt
  • 1人の打者が1試合で3本塁打を打てば7pt。2本塁打なら2pt
  • n点差を同点に追いつけば、{n+(n-1)+(n-2)…の合計÷3}pt

同じくn点差を逆転すれば、{n+(n-1)+(n-2)…の合計×2÷3}pt

1点差同点      0.3pt      1点差逆転           0.7pt

2点差同点      1pt         2点差逆転           2pt

3点差同点      2pt         3点差逆転           4pt

4点差同点      3.3pt      4点差逆転           6.7pt

5点差同点      5pt         5点差逆転           10pt

6点差同点      7pt         6点差逆転           14pt

7点差同点      9.3pt      7点差逆転           18.7pt

 

 

日本シリーズは1950年から2023年の74度行われ、現在439試合(2023年終了時点)が行われている。

 

日本シリーズのスコアは下記から参照(下記は2010-2019年のページ)

https://npb.jp/bis/scores/nipponseries/yearlyresults2010.html

 

【例】

第〇〇位 (西暦)年 〇〇pt

【星取表】

コメント

 

各試合のpt

 

ハイライトゲーム(1番点数が高かった試合)

 

 

以上の形式で記載する。総試合数と王手をかけてからの試合数のptは記載していない

 

 

ワースト5とベスト5は最後に発表。

まず第67位~第6位まで発表する。

 

第69位 2006年 9.8pt

北海道日本ハム[●○○○○]中日

 

2021年から日本ハム監督になった新庄剛志のラストシーズン、北海道初の日本シリーズ、そして日本一として、記憶に残るシリーズではあったが、試合としては盛り上がりに欠けたようだ。

 

第1戦2.0pt

第2戦1.4pt

第3戦0.7pt

第4戦2.0pt

第5戦0.7pt

 

第1戦 中日4-2北海道日本ハム 2.0(269位)

2回に谷繁の適時打で中日が2点先制。日本ハムは3回表にセギノールの適時打とSHINJO犠飛で同点に追いついた。しかしその裏、井上一樹のタイムリーで中日が勝ち越し。

8回裏にも1点を取ってそのまま勝利。

 

第4戦 北海道日本ハム3-0中日2.0(269位)

3回裏、森本稀哲の3塁打と田中賢介の2塁打で1点先制。

5回裏にも2点を取ってそのまま勝利。

 

 

 

 

第68位 1999年 15.2pt

福岡ダイエー[○●○○○]中日

 

ホークスが福岡移転後初のリーグ優勝、そして日本一。ホークス暗黒時代脱出としてホークスファンの記憶に残るシーズン。MVPは第1戦と第2戦で本塁打、第3戦で右翼ポール付近へのファウル飛球を三角跳びで好捕するなどチームを牽引した、主将の秋山幸二。史上初となる2球団での日本シリーズMVP獲得者となった。

 

第1戦3.5pt

第2戦0.0pt

第3戦5.0pt

第4戦2.0pt

第5戦1.7pt

 

 

第3戦 中日0-5福岡ダイエー 5.0(162位)

4回表に城島健二の2ランHRで先制。

7回表に1点、8回表にも2点それぞれ奪い、投げては2年目永井が6回までノーヒットに抑え、篠原-ペドラザとつなぎ中日打線を2安打でシャットアウト。

 

 

 

第67位 1951年 19.0pt

巨人【○○○●○】南海

2リーグ制初期のゴールデンカード

巨人が初の日本シリーズ制覇。先制した球団がすべて勝利した。

日本シリーズでの水原茂巨人と山本(鶴岡)一人南海の対決は、このあと、1952年、1953年、1955年、1959年とある。

 

第1戦3.0pt

第2戦3.0pt

第3戦1.0pt

第4戦4.0pt

第5戦0.0pt

 

第4戦 巨人3-4南海 4.0(184位)

3回表の蔭山和夫のタイムリーなどで南海が4点先制。

9回裏に樋笠一夫が3ランHRを打って1点差に詰め寄るも、直後の3人が全員アウトとなり試合終了。

 

 

第66位 1998年 19.5pt

横浜[○○●●○○]西武

最強打線の1つマシンガン打線を擁する横浜が全試合2点以上取り、大洋ホエールズ時代の1960年以来38年ぶりの2度目の日本一となった。この年、横浜高校が春夏制覇を果たすなど、横浜市民にとっては最高の年となった。

ただし逆転劇が1度も無く、同点劇も第4戦のみで、6試合制ではワーストポイント。

 

第1戦0.0pt

第2戦4.0pt

第3戦0.0pt

第4戦2.5pt

第5戦0.0pt

第6戦8.0pt

 

第6戦 横浜2-1西武 8.0(114位)

スコアレスドローで迎えた8回裏、駒田徳広の2塁打で2点先制。

9回表に西武は横浜守護神、佐々木主浩を攻め、先頭打者で3塁打を打った大塚光二を、

進藤達哉の野選により生還させ1点返すも、

最後は金村義明のゲッツーにより横浜の日本シリーズ制覇を許す。

 

 

第64位 2015年 19.9pt

福岡ソフトバンク[○○●○○]東京ヤクルト

1990年~1992年の西武以来となる、23年ぶりの同一球団の連覇をソフトバンクが果たす。試合内容は逆転劇も同点劇も第3戦のみで、他の試合はすべて3.0ポイント以下。

ソフトバンクの強さが際立ったシーズン及びシリーズとなった。

 

第1戦1.5pt

第2戦3.0pt

第3戦9.4pt

第4戦1.0pt

第5戦2.0pt

 

第3戦 東京ヤクルト8-4福岡ソフトバンク 9.4(110位)

日本シリーズ史上初となる1試合3HRを山田哲人が打った試合。

山田のHRは先制、勝ち越し、逆転(決勝)のいずれにも直接絡んでいる。

ちなみに3本目のHRは当時中継ぎ起用されていた千賀から放っている。

 

 

第64位 1987年 21.5pt

西武[●○○●○○]巨人

「打の巨人、投の西武」の対決という下馬評だったが、勝負を決めたのは守備力と走力の差だった。第6戦、西武伊原春樹守備走塁コーチは巨人中堅手クロマティの緩慢な守備につけ込み、2回に清原和博にセンターフライで二塁から、8回に辻発彦にシングルヒットで一塁から、それぞれ一気にホームを陥れさせる。清原和博は、自分の憧れである巨人を下すことになり、最終回の守備中に涙を流した。

西武は巨人に対して、このシリーズ第5戦から1994年の第1戦まで、日本シリーズ7連勝することとなる。このシリーズに出場した原辰徳は、2002年の日本シリーズに巨人監督として臨んだ際に、相手の西武に対して「苦手を通り越して、コンプレックス。トラウマ的なものさえ感じる」と述べた。

 

第1戦2.0pt

第2戦4.0pt

第3戦3.5pt

第4戦4.0pt

第5戦1.0pt

第6戦2.0pt

 

第2戦 西武6-0巨人 4.0(184位)

西武が3回裏に石毛の本塁打で先制。6回裏には秋山の本塁打伊東勤の適時打で2点を挙げる。投げては先発の工藤が巨人を3安打に抑えて完封勝利

第4戦 巨人4-0西武 4.0(184位)

巨人は1回裏2死1、3塁から吉村が三塁への内野安打で先制。さらに篠塚も中前適時打を放ち2点を挙げる。7回には原、篠塚の本塁打で4-0とリードを広げる。槙原は西武打線を3安打に抑え、11奪三振を奪う力投で完封。

 

 

第62位タイ1952年24.5pt

巨人【○○●○●○】南海

2年連続で水原巨人と山本南海のカードとなった。

巨人が日本シリーズ連覇。1951年同様、こちらもポイントがあまり高くない。

 

第1戦2.0pt

第2戦3.5pt

第3戦3.5pt

第4戦0.3pt

第5戦0.7pt

第6戦5.0pt

 

第6戦 巨人3-2南海 5.0(162位)

1回表に南海に2点を先制されるも、5回裏に巨人は2点を挙げ同点に追いつく。

そして6回裏、2死3塁で南海の先発・柚木進の暴投により1点を取って逆転し、そのままゲームセット。

南海は巨人の連覇を許す形となった。

 

第62位タイ1959年24.5pt

南海[○○○○]巨人

南海が球団初の日本シリーズ制覇。史上初の4連勝でのシリーズ制覇

南海は杉浦忠が血豆を圧して第2戦を除き先発、37イニング中32イニングを投げ、すべて勝利投手となった。初めて南海が日本シリーズで巨人と対戦してから8年、5回目の挑戦で勝ち取った日本一に大阪市民は熱狂、優勝パレードには沿道に20万人が集まり、「御堂筋パレード」と呼ばれた。

 

第1戦2.0pt

第2戦2.0pt

第3戦17.5pt

第4戦3.0pt

 

第3戦 巨人2-3南海(延長10回) 17.5(62位)

2-1で南海が勝っていた9回裏、坂崎一彦のソロHRで巨人に同点に追いつかれる。

更に1死3塁とサヨナラのピンチとなるが、森昌彦の打ったライナーを大沢昌芳が前進守備で捕球、更に3塁ランナーも刺してピンチを脱する。

10回表に寺田陽介のタイムリー2塁打で取った1点を守り、南海が勝利。

先発の杉浦は10回142球を投げ、完投勝利した。

 

 

第61位 1972年 24.9pt

巨人[○○●○○]阪急

巨人V9の8年目。この年に日本記録の106盗塁を残した阪急福本豊だが、巨人は福本の足を完全に封じ込めた(第3戦で決めた1盗塁のみ)

第1戦~第4戦はすべて2点差の接戦だったが、第5戦は3回表に巨人打線が滅多打ち。

 

第1戦4.7pt

第2戦11.8pt

第3戦3.7pt

第4戦1.0pt

第5戦0.7pt

 

 

第2戦 巨人6-4阪急 11.8(86位)

阪急は3点ビハインドの8回表、住友平のタイムリーなどにより同点に追いつく。

だが8回裏、土井正三の敬遠直後に堀内恒夫のタイムリー2塁打により2点を挙げて巨人が勝ち越す。

9回表は堀内自ら3者凡退に仕留めゲームセット。

 

 

第60位 2001年 28.9pt

ヤクルト[○●○○○]大阪近鉄

いてまえ打線を擁する近鉄だったが、勝利した第2戦を除きすべて2点以内に仕留められた。近鉄はこの年の出場を最後に、日本シリーズ制覇を果たせないまま球団が消滅した。

日本シリーズ制覇直後のインタビューでの若松勉監督の「本当にファンの皆様、改めまして、日本一、おめでとうございます」は、リーグ優勝時の「ファンの皆様、おめでとうございます」と並ぶ名言。

 

第1戦7.0pt

第2戦10.7pt

第3戦0.5pt

第4戦6.7pt

第5戦1.0pt

 

第2戦 大阪近鉄9-6ヤクルト 10.7(94位)

ヤクルトが4回表までに4点をリードするが、その後は6回表まで1点ずつの取り合いとなり、迎えた6回裏、近鉄水口栄二の3ランHRなどで同点に追いつく。

そして8回裏、T. ローズが3ランHRを放ちこれが決勝点となった。

 

 

第59位 1985年 29.7pt

阪神[○○●●○○]西武

この年から日本シリーズにもDH制を採用することになり、阪神弘田澄男を6試合とも打順を2番で起用した。なお、このときは指名打者制を隔年で採用することとなっており、翌年は全試合DH制なし、1987年から現在の制度になる。

阪神が初の日本シリーズ制覇。カーネル・サンダースの呪いはこの18年後に解けたとされており、2009年には1985年に道頓堀に投げ込まれたカーネルの像は発見されている。この年選手として活躍した岡田彰布が監督として2023年38年ぶりの日本一を果たし名実ともに呪いを解いた。

 

第1戦7.0pt

第2戦3.7pt

第3戦1.0pt

第4戦13.0pt

第5戦0.0pt

第6戦0.0pt

 

第4戦 阪神2-4西武 13.0(83位)

西武は6回表スティーブの2点HR、阪神は、6回裏に真弓のソロHRで1点差とすると

8回裏、弘田澄男の犠牲フライにより同点に追いつく。

しかし9回表、西武は途中出場の西岡良洋が2ランHRを放ち、この2点を守って勝利。

 

 

第58位 2000年 31.5pt

巨人[●●○○○○]ダイエー

20世紀最後の日本シリーズを、20世紀野球の象徴のONコンビの2人が監督として争う形となった。結果は、巨人が2連敗から4連勝で制覇し、ダイエーの連覇を阻止した。本塁打数は巨人8、ダイエー7とほぼ互角だったが、巨人がチーム打率.285に対し、ダイエーは.202。城島健司が3試合連続を含む4HRと気を吐いたものの、左脇腹痛を発症させた小久保裕紀(.143、0HR、1打点)や、松中信彦(第1戦HRが唯一の安打)らの主軸がブレーキとなり、3HR8打点の松井秀喜、2HR5打点の高橋由伸と主軸が活躍した巨人と対照的な結果になった。

 

第1戦10.0pt

第2戦4.0pt

第3戦2.0pt

第4戦3.8pt

第5戦6.0pt

第6戦0.7pt

 

 

第1戦 巨人3-5福岡ダイエー 10.0(104位)

ダイエーは2点ビハインドの7回表、松中信彦の2ランHRで同点に追いつく。

更に9回表、ダイエーニエベスのソロHRなどで2点を取って逆転、この2点を守って勝利。

 

 

第57位 1973年 32.7pt

巨人[●○○○○]南海

巨人V9の最終年。第2戦の決勝タイムリーや第3戦での2失点完投勝利、2本塁打3打点から堀内恒夫がMVP。南海は第2戦以降打線が2点以下しか取れず、さらにエラーから失点するなど守備の乱れも見られた。結局チーム打率.185で当時のシリーズ最低記録を記録した。巨人は翌1974年シーズンはリーグ優勝を逃し、連覇が途絶えた。以後巨人の日本シリーズ連覇はこの年を最後に出ていない。また南海もこれが最後の日本シリーズ出場となった。

 

第1戦12.0pt

第2戦15.0pt

第3戦2.0pt

第4戦1.0pt

第5戦0.7pt

 

第2戦 南海2-3巨人 15.0(74位)

巨人は1点ビハインドの4回表で同点、更に6回表に逆転するも、南海も負けじと7回裏に同点に追いつき延長へ。

そして11回表、1死2塁で堀内が決勝タイムリーを放ち、この1点を堀内自ら守って勝利。

 

 

第56位 1963年 33.8pt

巨人[●○○●○●○]西鉄

7試合制ではワーストのポイント。逆転劇は第4戦の1回のみで、試合内容は盛り上がりに欠けた。ONの長島茂雄が第5戦、王貞治が第7戦でそれぞれ1試合2HRを放った。

第7戦は、巨人18-4西鉄というとんでもないスコアであり、巨人の1試合18得点、14点差勝利、および4回表に記録した1イニング9得点は2022年現在も日本シリーズ最多記録である。

 

第1戦0.0pt

第2戦0.3pt

第3戦1.0pt

第4戦0.7pt

第5戦3.5pt

第6戦6.0pt

第7戦2.3pt

 

第6戦 西鉄6-0巨人 6.0(142位)

1回裏にJ. バーマが2ランHRを放って2点を先制し、その後も西鉄は点を取っていく。

投げては稲尾和久が巨人打線を2安打完封に仕留める。

 

第55位 2007年 34.0pt

中日[●○○○○]北海道日本ハム

53年ぶりに中日が日本シリーズ制覇。同じカードとなった前年と勝敗が真逆。

第5戦では継投による完全試合を達成、日本シリーズでのノーヒットゲームはこれが唯一。

日本ハムのシリーズチーム打率.147は歴代ワースト2位

 

第1戦4.5pt

第2戦0.5pt

第3戦0.0pt

第4戦2.0pt

第5戦24.0pt

 

 

第5戦 中日1-0北海道日本ハム 24.0(44位)

中日は2回、平田の犠牲フライで1点を先制し、結果的にこの1点が決勝点となり53年ぶりの日本一を達成。この試合、中日の先発・山井大介が8回を一人の走者も許さないパーフェクトペースであったが、9回は落合監督が守護神・岩瀬に交代させる。先発投手が被安打0のまま交代するのは、1999年第3戦の永井智浩ダイエー)に次いで2人目であり、四死球などの走者も1人も許さずに交代したのは山井が史上初。結果的に岩瀬は3人で締めて、継投による完全試合を達成した。1人で完全試合を達成できなかったのは、山井が5回辺りから肉刺をつぶし出血していたためとされている。

 

 

第54位 1982年 34.8pt

西武[○○●●○○]中日

西武が埼玉に移って初の日本シリーズ制覇。西鉄時代から考えても1958年以来24年ぶり。

ここから広岡―森の西武黄金期がスタートする。

 

第1戦0.0pt

第2戦0.0pt

第3戦15.8pt

第4戦9.0pt

第5戦1.7pt

第6戦3.3pt

 

第3戦 西武3-4中日 15.8(71位)

中日は2点ビハインドの7回表、上川誠二が3ランHRを放ち逆転。

しかし8回裏、1死3塁でスティーブ・オンティベロスのゴロ打球をセカンドの上川が捕球し本塁に送球するもセーフになり同点に追いつかれる。

それでも9回表、2死1・3塁で今度は上川のゴロ打球をサードのスティーブが取り損ねて3塁走者が本塁生還。

この回中日は無安打で決勝点を挙げた。

 

 

第53位 1960年 35.0pt

大洋[○○○○]大毎

大洋ホエールズとして初であり唯一の日本シリーズ制覇。全試合が1点差という珍しいシリーズ。

4試合のシリーズとしてはこれが最もポイントが高い。

 

第1戦6.0pt

第2戦5.0pt

第3戦18.0pt

第4戦6.0pt

 

 

第3戦 大毎5-6大洋 18.0(59位)

大洋が5回表までに5点をリードするが、大毎も負けじと詰め寄り、

大毎2点ビハインドで迎えた8回裏、葛城隆雄のタイムリー2塁打で同点に追いつく。

しかし大洋は9回表、近藤昭仁のソロHRで1点を勝ち越し、そのまま勝利。

 

 

 

第51位タイ1991年 38.4pt

西武[○●○●●○○]広島

西武が10回目の日本シリーズ制覇。戦前の西武有利の予想に反し広島が先に3勝2敗とし、後一歩まで追い詰めたものの、前回1986年の対戦に引き続き、逆転で西武が日本一を果たした。

 

第1戦0.0pt

第2戦2.4pt

第3戦11.0pt

第4戦1.0pt

第5戦2.0pt

第6戦0.8pt

第7戦1.2pt

 

 

第3戦 広島東洋0-1西武 10.7(91位)

スコアレスドローで迎えた8回表、秋山幸二のソロHRで西武が勝ち越し。

投げては渡辺久信が広島打線を5安打完封。

 

 

第51位タイ1993年 38.4pt

ヤクルト[○○●○●●○]西武

前年と同じカードであるが、この年は野村克也監督のヤクルトが西武にリベンジを果たし、15年ぶりの日本シリーズ制覇。ただし逆転劇は第2戦に2回あっただけ。

 

第1戦0.0pt

第2戦1.4pt

第3戦3.0pt

第4戦6.0pt

第5戦0.0pt

第6戦1.5pt

第7戦1.5pt

 

第4戦 ヤクルト1-0西武 6.0(142位)

ヤクルトは2回表、池山隆寛の犠牲フライで先制。

この1点を川崎憲次郎高津臣吾が守り切った。

 

 

第50位 1967年 39.2pt

巨人[○○○●●○]阪急

巨人V9の3年目。巨人4勝のうち、第2戦を除きいずれも0.0ポイントと試合展開は盛り上がりを欠けた。

 

第1戦0.0pt

第2戦7.5pt

第3戦0.0pt

第4戦0.7pt

第5戦16.0pt

第6戦0.0pt

 

第5戦 巨人3-6阪急 16.0(68位)

巨人が5回裏までに3点をリードするも、阪急は8回表のD. スペンサーの2ランHRなどで同点に追いつく。

更に9回表には、8回裏からリリーフをしていた足立光宏が2点タイムリーで逆転、足立は2回を完璧に抑えた。

 

 

第49位 2014年 39.5pt

ソフトバンク[●○○○○]阪神

リーグ最終戦の直接対決をサヨナラで優勝を決めたソフトバンクとリーグ2位もCSファイナルを4連勝で勝ち上がった阪神の対戦。

ソフトバンク日本シリーズ制覇という最高の形で秋山幸二監督を勇退させた。

しかし最終戦である第5戦は西岡剛の守備妨害で試合終了という珍しいものであった。

 

第1戦0.0pt

第2戦3.0pt

第3戦0.0pt

第4戦23.5pt

第5戦10.0pt

 

第4戦 福岡ソフトバンク5x-2阪神 23.5(47位)

ソフトバンクが1回裏、阪神が3回表にそれぞれ2点を入れてから1点も入らないまま延長に入る。延長10回裏、オスンファンから中村晃がライトポール際に3ランHRを放ってソフトバンクがサヨナラ勝ち。

 

 

 

第48位 1996年 39.7pt

オリックス[○○○●○]巨人

頑張ろうKOBEで制した95年から連覇を果たしたオリックスと最大11.5ゲームをひっくり返すメークドラマを演じた巨人の組み合わせ。

オリックスとしては初の日本シリーズ制覇(阪急含むと19年ぶり)。次の日本シリーズ出場までここから四半世紀待つこととなった。

 

第1戦24.7pt

第2戦6.0pt

第3戦0.3pt

第4戦0.0pt

第5戦1.7pt

 

 

第1戦 巨人3-4オリックス 24.7(42位)

オリックスは1点ビハインドの8回表、T. ニールのタイムリーなどで3点を奪い逆転。

巨人も負けじと9回裏に大森剛の2ランHRで同点に追いつく。

しかし10回表、オリックスイチローのソロHRで勝ち越し、これを守りきり勝利。

 

 

 

 

 

第47位 1979年 46.7pt

広島[●●○○○●○]近鉄

広島が初の日本シリーズ制覇。第7戦の9回裏、1点を追う近鉄江夏豊を打ち込み無死満塁と逆転サヨナラ勝利の好機を迎えるが、江夏が自ら抑えた。

このシーンはノンフィクション『江夏の21球』で更に有名になった。

ただしその第7戦のポイントは逆転劇が1回も無いためか4.0ポイントとあまり高くない。

 

第1戦0.5pt

第2戦3.5pt

第3戦5.0pt

第4戦3.0pt

第5戦10.0pt

第6戦0.7pt

第7戦4.0pt

 

 

第5戦 広島東洋1-0近鉄 10.0(104位)

6回裏に三村敏之のタイムリー2塁打で1点先制。

投げては山根和夫近鉄打線を2安打完封で締める。

 

 

第46位 1971年 47.2pt

巨人[○●○○○]阪急

巨人V9の7戦目。1勝1敗の第3戦で王のサヨナラ3ランが飛び出し、これがシリーズの流れの行方を決めたとされる。

 

第1戦3.3pt

第2戦10.7pt

第3戦30.2pt

第4戦10.4pt

第5戦3.0pt

 

第3戦 巨人3x-1阪急 30.2(29位)

巨人は1点ビハインドの9回裏、王貞治が3ランHRを打って逆転サヨナラ勝ち。

山田久志から打ったこのサヨナラHRは名場面として名高い。

 

 

 

第45位 1989年 47.6pt

巨人[●●●○○○○]近鉄

近鉄が3連勝して早くも日本シリーズ制覇に王手をかけたにもかかわらず、その後4連敗で巨人に明け渡した。第3戦で勝利投手となった加藤哲郎の発言が「巨人は(パ・リーグ最下位の)ロッテより弱い」と報じられ、その後近鉄が3連敗を喫し、迎えた第7戦、その加藤からHRを放った駒田徳広は「バーカ」と言い放った。

試合展開そのものは、全試合6.0ポイント未満と低く、ポイントの多くが「3連敗からの4連勝」によるもの。

 

第1戦5.7pt

第2戦2.0pt

第3戦3.0pt

第4戦4.0pt

第5戦1.2pt

第6戦1.7pt

第7戦0.0pt

 

 

第1戦 近鉄4-3巨人 5.7(155位)

近鉄が1回裏に先制するも、すぐに巨人が2点を取って逆転。

そして2点ビハインドの6回裏、鈴木貴久の2ランHRで同点に追いつき、

更に7回裏、山下和彦の3塁打から新井宏昌のタイムリーで逆転。

そこからそのまま近鉄が逃げ切った。

 

 

第44位 2012年 48.0pt

巨人[○○●●○○]北海道日本ハム

巨人は3年ぶりの日本一。日本ハム栗山英樹監督はシリーズ10人目となる新人監督の日本一が懸かっていたが、敗退。

第5戦で多田野数人が投じた内角球が危険球とされる疑惑の判定があり、シリーズ史上2人目の退場処分となった日本シリーズ

 

第1戦1.0pt

第2戦6.0pt

第3戦0.0pt

第4戦31.0pt

第5戦0.0pt

第6戦5.0pt

 

第4戦 北海道日本ハム1x-0巨人 31.0(25位)

巨人先発は宮國、日本ハム先発は中村勝「ともに平成生まれの投手の投げ合い」(日本シリーズ初)と言われた、この日の時点で20歳の両先発投手がともに7回まで投げて得点を許さず。その後、9回には両チームに二死満塁の好機があったが、巨人は代打石井が左飛に、日本ハムは代打杉谷が二ゴロにそれぞれ倒れ得点できず、試合は延長戦の12回表まで無得点で進んだ。12回裏、一死一塁の場面で大野が犠打を試みると、処理した投手西村の1塁への送球をベースカバー藤村が落球する失策で1死1・2塁という好機を作った。続く

「守備職人」飯山裕志がタイムリー2塁打を放ち、日本ハムがサヨナラ勝ち。

 

 

第43位 2004年 48.8pt

西武[○●○●●○○]中日

中日の落合博満、西武の伊東勤の共に新人監督同士の対決となった。第5戦で中日が勝利し、先に制覇に王手をかけるも、その後連敗し、50年ぶりの制覇を逃したシリーズ。

 

第1戦6.0pt

第2戦6.7pt

第3戦10.7pt

第4戦0.0pt

第5戦0.0pt

第6戦4.4pt

第7戦0.0pt

 

 

第3戦 西武10-8中日 11.7(87位)

4回裏に西武が中日の先発のドミンゴからフェルナンデスの左前適時打とカブレラの2点本塁打で3点を先制、5回裏に中島裕之の右越ソロ本塁打で4-0とした。中日は4点ビハインドの6回表、中日は西武の先発の帆足和幸からアレックスの中前適時打で1点を返し、代わった長田秀一郎から谷繁元信が満塁HRを放ち逆転。さらに7回表アレックスの中前適時打で1点を追加し4-6とする。7回裏、西武は、中日2番手岡本から一死満塁とチャンスをつくると佐藤の2点タイムリ二塁打で同点に追いつく。さらに、二死満塁からカブレラの場外への満塁本塁打返しで10-6と再逆転した。中日は8回表にリナレスの本塁打などで2点差とする、最後は豊田が抑え、10-8で西武が勝利。

 

 

第42位 1955年 50.1pt

巨人[○●●●○○○]南海

ここまでの6回の日本シリーズで巨人vs南海の対戦が4回目を迎える。

第4戦で南海が制覇に王手をかけながら、3連敗を喫し巨人に制覇を許した。

 

第1戦7.8pt

第2戦4.0pt

第3戦3.0pt

第4戦4.3pt

第5戦1.0pt

第6戦1.5pt

第7戦3.5pt

 

 

第1戦 南海1-4巨人 7.8(119位)

南海1点ビハインドの5回裏、蔭山和夫のスクイズにより同点に追いつく。

その後は点が入らず延長を迎え、10回表、川上哲治の2ランHRなどで巨人が3点を奪って勝利。別所毅彦は南海打線を4安打に抑え10回完投勝利。

 

 

 

第41位 1997年 50.2pt

ヤクルト[○●○○○]西武  

野村克也監督がヤクルトで直近5年間で3度目の制覇を果たす。古田敦也伊東勤の両チームの捕手がポイントといわれた通り、古田の攻守に渡る活躍で西武の野球を封じ込める展開となった。

 

第1戦12.0pt

第2戦25.0pt

第3戦7.0pt

第4戦1.2pt

第5戦2.0pt

 

 

第2戦 西武6x-5ヤクルト 25.0(41位)

初回、西武は河田雄祐の2ランHRなど5安打を集中し5点を奪い、ヤクルト先発の田畑一也を1回でKO。一方、ヤクルトは2回、3回、4回にそれぞれ2点、1点、1点を返して1点差に。6回表、一死満塁からD. ホージーのバットのグリップエンドに当たった打球を伊東勉が野選し、同点に追いついた。

ヤクルトは6回裏二死一、二塁からまだ同点にも関わらず高津臣吾を投入。西武も細かい継投で防戦、試合は延長戦に突入。10回裏ヤクルトは既に3イニング超、60球を投げていた高津に代えて山部太を送るが、先頭の佐々木誠が安打で出塁、河田が送った後伊東を敬遠して一死一、二塁。ここでヤクルトは伊藤智仁に交代。しかし奈良原浩の代打・田辺徳雄がタイムリーを放ち西武がサヨナラ勝ち。

 

 

 

第40位 1956年 50.4pt

西鉄[●○○○●○]巨人

西鉄が初の日本シリーズ制覇。稲尾和久が第3戦、第4戦、第6戦で勝利投手となり、3勝を挙げている。日本シリーズ前、巨人水原監督と西鉄三原監督は出身が香川県と同郷である事、中等学校(現・高等学校)、大学、プロ野球を通じ、長い間お互いライバル関係であった事から、メディアは魔術師・三原と勝負師・水原の2人の戦いは剣豪・宮本武蔵佐々木小次郎を例えた『巌流島の決闘』と称した。

 

第1戦3.5pt

第2戦0.7pt

第3戦16.7pt

第4戦2.0pt

第5戦17.0pt

第6戦0.5pt

 

第5戦 西鉄7-12巨人 17.0(63位)

巨人は2点ビハインドの5回表、坂崎一彦のタイムリー3塁打などで5点を奪い逆転。

西鉄も負けじと6回裏、関口清治のソロHRなどで同点に追いつく。

7回裏には西鉄打線の4連打などで2点奪って再逆転するも、

8回表に巨人は土屋正孝のタイムリー2塁打などでまた5点を取ってまた逆転。

巨人は5回と8回の集中打などにより勝利を奪う。

 

 

第39位 1965年 51.4pt

巨人[○○○●○]南海

巨人V9の1年目。幸先よく巨人が王手をかけ、第4戦で南海も踏みとどまるが、第5戦で敗れ制覇を許した。

 

第1戦3.0pt

第2戦14.7pt

第3戦2.7pt

第4戦1.0pt

第5戦22.0pt

 

 

第5戦 巨人3x-2南海 22.0(51位)

巨人2点ビハインドの6回裏、長島茂雄のタイムリーなどで同点に追いつく。

そして9回裏、土井正三がサヨナラタイムリーを決め巨人を日本シリーズに導く。

史上初のサヨナラによる日本シリーズ終了。

 

 

第38位 1968年 52.1pt

巨人[●○○○●○]阪急

巨人V9の4年目。巨人の日本シリーズ制覇はこれで10回目。

 

第1戦4.0pt

第2戦0.0pt

第3戦3.7pt

第4戦17.0pt

第5戦14.7pt

第6戦2.7pt

 

第4戦 阪急5-6巨人 17.0(63位)

巨人が5回表までに5点を先制する。

5回裏に阪急が4点を取り、7回裏、長池徳士のソロHRにより同点に追いつく。

しかし9回表、長島茂雄が決勝タイムリーを放つ。

長島は1回表の先制タイムリー、5回表のソロHRを含め3打点を叩きだす。

 

 

第37位 1954年 52.8pt

中日[○○●●○●○]西鉄

日本シリーズ5回目にして初めて九州地方および本州以外で試合が開催され、関東地方もしくは関西地方では1試合も開催されなかったシリーズとなった。なお中日が次に日本一になるのは53年後の2007年となる。

 

第1戦4.8pt

第2戦2.0pt

第3戦6.0pt

第4戦4.0pt

第5戦7.3pt

第6戦0.7pt

第7戦8.0pt

 

第7戦中日1-0西鉄 8.0(114位)

中日が7回裏に挙げた虎の子の1点を杉下茂が3安打シャットアウトで守りぬくというしびれる展開だった。

 

 

第36位 2011年 54.0pt

ソフトバンク[●●○○○●○]中日

ソフトバンクとして初めて日本シリーズ制覇を果たした。(ホークスとしては8年ぶり)

低反発球のせいか、2-1での決着が4試合もある。第4戦には無死満塁から登板した森福が無失点で切り抜ける「森福の11球」があった。第6戦まではビジターチームが勝ち、外弁慶シリーズとなりかけた。ちなみに当時解説者の達川光男はシリーズ前に内弁慶シリーズと予想したが、第6戦まで外れ、さらに第7戦の朝に、「喝」でおなじみのテレビ番組で中日が日本一になると発言。するとホームのソフトバンクが勝つという逆神っぷりを披露した

 

 

第1戦11.7pt

第2戦10.3pt

第3戦1.5pt

第4戦3.0pt

第5戦2.0pt

第6戦3.0pt

第7戦2.5pt

 

 

第1戦 福岡ソフトバンク1-2中日 11.7(87位)

中日1点ビハインドの7回表、和田一浩のソロHRで同点に追いつく。

そのまま延長に進み、10回表、小池正晃のソロHRで逆転し、中日が勝利。

ソフトバンクが4回裏、機動力を絡めた攻撃で一死一・二塁から長谷川の適時打で先制する。中日は6回までソフトバンク先発の和田毅の前に無安打であったが、7回表一死からチーム初安打となる和田一浩のソロHRで追いつき、9回を終え、1‐1の同点でシリーズ初戦から延長戦突入となった。10回表、ソフトバンクは守護神・馬原を投入するも二死から小池のソロHRで中日が勝ち越しに成功。その裏を9回から登板した浅尾、さらに二死から登板の岩瀬が締め、接戦を制した。

 

 

第35位 1988年 55.2pt

西武[○●○○○]中日

西武が3連覇を果たした。

この年のパ・リーグは、西武が公式戦全日程終了した後で日本シリーズ開幕3日前に行われたロッテオリオンズ-近鉄バファローズの最終戦ダブルヘッダー(いわゆる10.19)の末に優勝が決まったもので、ナゴヤ球場分の日本シリーズ前売り券には「中日 対 パシフィックリーグ優勝チーム」と書かれていた。

 

第1戦0.0pt

第2戦6.0pt

第3戦5.2pt

第4戦6.0pt

第5戦35.0pt

 

第5戦 西武7x-6中日 35.0(14位)

西武が1回裏と11回裏、中日が6回表にそれぞれ逆転したシーソーゲーム。

特に西武は9回裏に石毛宏典のソロHRで同点に追いついて延長戦へ持ち込み、西武は10回から本来は先発投手である松沼博久を投入、その松沼博は気迫の投球で中日打線を封じ込める。延長11回裏、西武は中日の守護神・郭源治から先頭の清原が中前に安打を放つと、同点弾を放った石毛が犠打で送り、笘篠の代打・立花が三振に倒れ2死後、伊東勤がライトオーバーのタイムリーを放ち、サヨナラ勝ちで日本一を決めた。

サヨナラゲームでの日本一決定は1950年の毎日、1965年の巨人に次いで3チーム目となった。

 

 

第34位 2013年 56.3pt

東北楽天[●○○●○●○]巨人

楽天が球団創設9年目にして初の日本シリーズ制覇。

同時に星野仙一監督は現役・監督通じて初の、それも自らの宿敵である巨人を破って日本シリーズ制覇を果たした。第7戦9回表には前日に9回160球と熱投した田中が本人の志願により登板。2安打され、2死1・3塁と一発出れば同点の場面で代打矢野を空振り三振に仕留め、無失点で締め、セーブを挙げた田中が胴上げ投手となった。雨が降る中、田中登場からのファンによる「あとひとつ」合唱は名場面の1つである。

 

第1戦3.5pt

第2戦4.0pt

第3戦0.0pt

第4戦7.3pt

第5戦15.5pt

第6戦4.0pt

第7戦2.0pt

 

 

第5戦 巨人2-4東北楽天 15.5(72位)

楽天は3回に2本の適時打で4試合連続の先制点。巨人は2点ビハインド7回裏村田が6回からリリーフ登板の則本からソロHRを放ち1点差とすると、9回裏にも村田が1死一、三塁から同点となるタイムリー内野安打を放ち、同点に追いつきなおもサヨナラのチャンスも同点止まり。

延長戦に入り10回表、2イニング目の巨人クローザー西村が則本に四球、藤田には死球を与え、1死一、二塁。続く銀次が中前安打を放ち勝ち越し、この後ジョーンズの適時打で、さらに1点を加えると、その裏も則本が続投し3者凡退に抑えて試合終了。

 

 

第33位 2009年 57.6pt

巨人[○●○●○○]北海道日本ハム

巨人が7年ぶりの日本シリーズ制覇。第5戦で42.5ptと荒稼ぎ。

パ・リーグ球団は丑年には日本一になれず王手もかけられない」というジンクスが引き続き継続することになった(現在も続いている)

 

第1戦3.3pt

第2戦1.0pt

第3戦2.8pt

第4戦0.0pt

第5戦42.5pt

第6戦3.0pt

 

 

第5戦 巨人3x-2北海道日本ハム 42.5(3位)

巨人1点ビハインドの8回裏、大道典嘉のタイムリーで同点に追いつく。

すぐに日本ハムは9回表高橋信二のソロHRで勝ち越し、9回裏に守護神武田久をマウンドに送るが、先頭の亀井が同点HR、1死後に阿部がサヨナラHRを放ち、わずか4球でサヨナラ負けを喰らった。

 

第32位 1969年 59.8pt

巨人[○●○○●○]阪急

巨人V9の5年目。3年連続で同じ顔合わせとなる。

第4戦では阪急の岡村浩二がシリーズ初となる退場処分を受けた。

 

第1戦10.3pt

第2戦26.7pt

第3戦3.7pt

第4戦4.0pt

第5戦5.1pt

第6戦0.0pt

 

第2戦 阪急2x-1巨人 26.7(39位)

阪急1点ビハインドの8回裏、一死二塁から阪本敏三がレフト前安打し、二塁走者の山本公士が森昌彦のブロックをかいくぐり生還、同点に追いついた。10回裏、阪本の投ゴロを高橋一がジャッグル、続く森本の一塁ゴロで王が悪送球(記録は内野安打)と巨人のミスが続いたところに長池徳士の安打で、阪急が逆転サヨナラ勝ち。

 

 

第31位 2018年 60.5pt

ソフトバンク[△●○○○○]広島

平成最後の日本シリーズ、前年王者のソフトバンクセリーグ3連覇の広島の初顔合わせとなった(前身時代を含む)。今回の対戦で、ソフトバンクは現存するセ・リーグ6球団全てと日本シリーズで対戦したことになった(前身時代を含む)。MVPには打率.143で本塁打、打点は0ながらも、6連続盗塁阻止のシリーズ新記録を樹立した甲斐拓也が選ばれた。

 

第1戦16.0pt

第2戦0.5pt

第3戦7.0pt

第4戦0.5pt

第5戦27.4pt

第6戦4.5pt

 

第5戦 ソフトバンク5x-4広島 27.0(35位)

2回表、広島は2死1.3塁から會澤の適時打で先制し、さらに1.2塁から野間の右前安打で2塁走者安部が本塁を狙うが、ソフトバンク上林が捕手の甲斐へダイレクト返球し刺殺、追加点を許さない。4回裏、ソフトバンクは無死満塁から中村の2点タイムリーで逆転する。しかし5回表、広島は2死1塁から代わったモイネロに対し丸のライトスタンドへの弾丸ライナー2ランで逆転。5回裏、ソフトバンクは1死満塁から柳田の投ゴロの処理を広島の投手ヘルウェグがもたつく間にランナーが生還し同点に追いつく。6回表、広島は2死から會澤のソロHRで勝ち越し。7回裏、ソフトバンクは1死から明石が広島フランスアからソロHRを放ち再び同点。その後は両チーム得点圏にランナーを進めるもあと1本が出ず、試合はそのまま4-4で延長戦に突入。10回裏、ソフトバンクは広島の守護神中﨑から先頭の柳田がバットを折られながら右翼ホームランテラスに飛び込むソロ本塁打を放ちサヨナラ勝利。主砲のバットで日本一に王手をかけた。

 

 

第30位 2023年 62.2pt

阪神[○●●○○●○]オリックス

阪神が1985年の日本一以来38年ぶりの日本一

1964年以来59年ぶりの開催となった関西ダービー。連覇を目指すオリックスと18年ぶりのリーグ優勝を果たした阪神とのシリーズ初顔合わせとなった。阪神岡田彰布監督は、前回日本一時に選手として出場、監督としては2005年以来18年ぶり2回目の日本シリーズ出場となる。監督としての出場のブランク期間は、野村克也の19年ぶりに次ぐ2番目のブランクでの出場であり、同一球団では長嶋茂雄(巨人)の17年ぶりを上回る最長。監督として初出場の2005年は未勝利に終わり、初出場未勝利の監督の2度目の出場は西本幸雄古葉竹識に次いで3人目。また、岡田監督は対戦相手でもあるオリックスの監督を務めたことがあり、監督経験がある球団と日本シリーズで対戦するのは三原脩王貞治に次いで3人目となる。第7戦までもつれ、阪神が38年ぶり2度目の悲願の日本一。中日の53年ぶり、日本ハムの44年ぶりに次ぎ、横浜(現:DeNA)の38年ぶりに並ぶ3位タイのブランクによる日本一となった。

 

第1戦5.0pt

第2戦2.5pt

第3戦3.7pt

第4戦21.3pt

第5戦9.0pt

第6戦0.7pt

第7戦0.0pt

 

第4戦 阪神4x-3オリックス 21.3(53位)

初回阪神は近本安打、中野犠打、森下タイムリーと理想的な先制点をあげる

対するオリックスも2回表先頭昨日ホームランの頓宮が3塁打で出塁し、その後紅林のタイムリーであっという間に同点。

追いつかれた直後の2回裏、2死からぼてぼてのセカンド内野安打と四球でチャンスを作ると近本のタイムリーで勝ち越しに成功。5回には大山の内野ゴロの間に1点を取り、2点差とする。オリックスは初回と5回以外先頭打者出塁と再三ランナーを出すもあと1本が出ず得点できない。

7回表、回跨ぎとなった桐敷から先頭廣岡がサード佐藤輝のエラーで出塁すると代打セディーニョの安打、送りバントで1死、2,3塁とすると昨日殊勲打の宗が真ん中低めに投じられた150キロのストレートをはじき返し2点タイムリーヒット。3-3の同点に追いつく。

8回表、こちらも回跨ぎとなった石井からヒットとエンドランで1死、1,3塁とするとここで代打T-岡田阪神岡田監督はすかさず左の島本にスイッチ。するとオリックス中嶋監督は代打の代打で安達を選択。初球盗塁で1死2,3塁、スクイズの様相もちらつきつつフルカウントまで行き、6球目、サード正面のゴロでホームアウト、2死1,3塁となる。

ここで岡田監督は、6月15日のオリックス本塁打2発で敗戦投手となり、その後右前腕筋挫傷、左脇腹筋挫傷と苦しみ、この日ベンチ入り・139日ぶり1軍登板となる湯浅をマウンドにあげる。

中川圭への初球、149キロ直球でセカンドフライに仕留め、渾身のガッツポーズを決め、甲子園は阪神ファンの熱狂に包まれる。

9回表は岩崎が抑え、9回裏ワゲスパックから近本が四球を選び1死1塁。続く中野の打席で2つのワイルドピッチで、1死3塁となる。ここで中嶋監督は中野に申告敬遠を送ると、さらに続く森下にも申告敬遠で満塁策。球場がどよめく中、打席には4番大山。フルカウントからの7球目、大山の打球は三遊間を抜け、サヨナラタイムリー。4番の一打で2勝2敗のタイに戻した。

 

 

第29位 1977年 63.3pt

阪急[○○●○○]巨人

阪急が日本シリーズ3連覇。

巨人監督の長嶋は、選手として5回にわたって阪急を破って日本一(1967年 - 1969年、1971年、1972年)に貢献しているが、監督としては一度も阪急を破ることができなかった。また、阪急は「阪急ブレーブス」としての最後の日本一となった。次の日本一まで19年の月日を要することとなるが(球団名はオリックス・ブルーウェーブ)、相手は奇しくも本シリーズと同じく読売ジャイアンツで、監督も長嶋であった。

また、王貞治にとっては選手として最後の日本シリーズとなった。

 

第1戦0.3pt

第2戦3.0pt

第3戦37.0pt

第4戦18.0pt

第5戦23.0pt

 

 

第3戦 巨人5x-2阪急 37.0(9位)

巨人1点ビハインドの5回裏、王貞治の2ランHRで逆転。

しかし阪急は9回表、鳥谷金二のソロHRで同点に追いつく。

そして延長12回裏、河埜和正がサヨナラ3ランHRを放ち、巨人が勝利。

 

 

第28位 1981年 63.6pt

巨人[●○●○○○]日本ハム

巨人がV9以来の日本シリーズ制覇。

後楽園球場に本拠地を置く球団同士の対戦で、史上唯一全試合が1球場で開催されたシリーズ。

 

第1戦36.6pt

第2戦13.7pt

第3戦5.0pt

第4戦0.3pt

第5戦3.0pt

第6戦0.0pt

 

 

第1戦 日本ハム6x-5巨人 36.6(10位)

日ハムが6回裏までに4点を奪うも、8回表の松本匡史のタイムリーなどで巨人が同点に追いつく。日本ハムは、その裏、岡持和彦の本塁打で勝ち越したが、9回、リリーフエース江夏が代打、松原誠に同点HRを浴び、途中降板。

9回裏、巨人のリリーフエース・角三男に対し、井上弘がサヨナラタイムリーを決め日本ハムが勝利。

 

 

第27位 1957年 64.4pt

西鉄[○○○△○]巨人

前年と同じ対戦カードで、西鉄が連覇を果たす。引き分けを挟むが、4勝無敗で制された初のシリーズとなる。その4勝はいずれも1点差であった。

 

第1戦4.0pt

第2戦33.7pt

第3戦5.0pt

第4戦7.0pt

第5戦6.7pt

 

第2戦 西鉄2-1巨人 33.7(19位)

スコアレスドローで迎えた9回表、宮本敏雄のソロHRで巨人が1点先制。

しかし9回裏、大下弘の犠牲フライで同点に追いつき、河野昭修のサヨナラタイムリーで西鉄が逆転勝利。

 

 

第26位 1975年 65.2pt

阪急[△○○△○○]広島

阪急が初の日本シリーズ制覇。広島は初めての日本シリーズ出場。阪急の上田監督、広島の古葉監督は共に広島OBで、広島OB同士による初の日本シリーズとなった

 

第1戦16.2pt

第2戦1.0pt

第3戦10.3pt

第4戦27.0pt

第5戦3.7pt

第6戦2.0pt

 

第4戦 広島東洋4-4阪急 27.0(38位)

阪急が2回表に森本潔のソロHRで先制するも、すぐに山本浩二山本一義のそれぞれのソロHRにより広島が逆転。

広島は3回裏にも1点を取るが、7回表に長池徳士のタイムリーなどで追いついて延長へ。

13回表、阪急は7回からリリーフをしていた山口高志がタイムリーを放って逆転するが、

その裏、広島は2死満塁から佐野嘉幸がタイムリーを放つ。そのまま逆転サヨナラと思われたが、2塁走者はタッチアウトとなりゲームセット。

山口は7~13回の7イニング110球を投げ切り、広島の外木場義郎は13回完投、1試合投球数シリーズ記録の200球を投げ抜いた。

 

 

第251984年 67.7pt

広島[○●○○●●○]阪急

2023年現在、広島最後の日本シリーズ制覇。先に王手をかけたが2連敗を喫し、第7戦で勝利して制覇した。1975年の日本シリーズと対戦球団だけで無く、監督も同じ(広島は古葉竹識、阪急は上田利治)。

 

第1戦11.0pt

第2戦15.0pt

第3戦0.0pt

第4戦11.0pt

第5戦0.7pt

第6戦4.0pt

第7戦1.0pt

 

 

第2戦 広島東洋2-5阪急 15.0(74位)

広島は1回に押し出し四球、3回に山本浩二のタイムリーで2点をリードする。

阪急は広島先発・北別府に8回まで4安打に抑えられていたが、9回表、簑田浩二のソロHRで1点返すと打線がつながり、計5点を奪って逆転。その5点を守って阪急が勝利。

 

 

 

 

第24位 2017年 67.8pt

ソフトバンク[○○○●●○]DeNA

 

DeNAが3位からCSを勝ち上がり球団買収後初(ベイスターズとしては19年ぶり)の日本シリーズ進出。このシリーズでセ・リーグ6球団は全て、21世紀になってから1度は日本シリーズ出場を果たしたことになった(パ・リーグは2021年にオリックスが出場し全チーム出場を果たす)

1点差試合が4試合存在し、0ポイント試合も第1戦のみという好カード。

 

第1戦0.0pt

第2戦5.7pt

第3戦3.0pt

第4戦5.0pt

第5戦6.4pt

第6戦32.7pt

 

 

第6戦 福岡ソフトバンク4x-3横浜DeNA 32.7(22位)

ソフトバンクが2回裏に松田宣浩のソロHRで先制するも、6回表に白崎浩之のソロHRとJ. ロペスの2点タイムリーでDeNAが逆転。

DeNAは今永昇太が8回途中まで好投するも、8回裏に降板後、ソフトバンク柳田悠岐の投ゴロの間に1点差に詰め寄る。

ソフトバンクは、9回裏1死、DeNA守護神山崎康晃から内川聖一がソロHRを打ち、同点に追いつく。

ソフトバンクは、9回表から登板したD. サファテが延長に入ってもそのまま続投。結局3イニングを無失点でDeNA打線を抑え、延長11回裏、2死1,2塁から川島慶三がライト前タイムリーを放ちサヨナラ勝利で日本一を決めた。サヨナラ勝利での日本一は29年ぶり4度目

 

 

第23位 1964年 68pt

南海[○●●○●○○]阪神

南海のJ. スタンカが4試合で登板したシリーズ。特に第6戦・第7戦では連続完封勝利を果たし、南海のシリーズ制覇に貢献した。この年の日本シリーズは史上初めて全試合がナイターで開催された。

 

第1戦5.0pt

第2戦0.0pt

第3戦5.3pt

第4戦28.7pt

第5戦0.0pt

第6戦6.0pt

第7戦3.0pt

 

 

第4戦 南海4x-3阪神 28.7(33位)

南海1点ビハインドの4回裏、J. ローガンの犠牲フライで同点に追いつくと、

5回裏には国貞泰汎のタイムリーで2点を奪って逆転。

すぐさま阪神山内一弘の2ランHRで同点に追いつくが、

9回裏、K. ハドリのソロHRで南海がサヨナラ勝利。

 

 

第22位 1978年 70.7pt

ヤクルト[●○●○○●○]阪急

ヤクルトが阪急の4連覇を阻止し、初出場にして球団初の日本シリーズ制覇を果たした。

第7戦では阪急の上田利治監督が大杉勝男本塁打をファウルだと主張し1時間19分も中断した。

 

第1戦15.0pt

第2戦0.7pt

第3戦4.0pt

第4戦26.0pt

第5戦0.0pt

第6戦0.0pt

第7戦5.0pt

 

第4戦 阪急5-6ヤクルト 26.0(40位)

試合は阪急が1回にマルカーノの適時打で1点、2回に中沢、今井雄、簑田浩二の適時打で4-0とし早々にヤクルト先発安田をKO。さらに2番手井原からも5回に簑田の三塁打をきっかけに1点を追加。

ヤクルトは6回表、船田の遊撃ゴロを二塁走者永尾泰憲が頭脳的な走塁で大橋の失策を誘い無死満塁にしたのを足掛かりに、若松の適時打、大杉・マニエルの内野ゴロ、杉浦の適時打で1点差に詰め寄る。

9回表、ヤクルトは、D. ヒルトンの2ランHRで逆転し、それによる1点リードを守って勝利。

 

 

 

第21位 1970年 73.4pt

巨人[○○○●○]ロッテ

巨人V9の6年目。ロッテがポストシーズンを経ずに日本シリーズに出場したのはこの年が最後である。(年間勝率1位は1974年が最後)

 

第1戦33.0pt

第2戦0.0pt

第3戦19.0pt

第4戦10.4pt

第5戦3.0pt

 

第1戦 巨人1x-0ロッテ 33.0(20位)

延長11回まで堀内恒夫と木樽正明の投げ合いとなり、11回表までスコアレスドロー

11回裏に黒江透修がサヨナラのソロHRを放ちゲームセット。

堀内は11回を完封勝利で飾った。

 

 

第20位 1953年 74.4pt

巨人【●○△○○●○】南海

史上初の第7戦が行われたシリーズ(ただしこのときは引き分けあり)。

巨人は独走状態でセリーグを勝ち上がり、対する南海は首位が28回も入れ替わるという史上稀に見る大混戦のパ・リーグを勝ち上がっての対決で、3年連続「巨人-南海」の同一カードとなった。甲子園球場で行われた第6戦の入場者数6346人は、日本シリーズ史上最少入場者数である。

 

第1戦35.0pt

第2戦2.4pt

第3戦3.6pt

第4戦3.0pt

第5戦3.0pt

第6戦4.0pt

第7戦3.4pt

 

 

第1戦 南海4x-3巨人 35.0(14位)

巨人2点ビハインドの7回表に1点を取り、更に9回表に千葉茂のタイムリー内野安打で同点に追いつき延長へ。

そして12回裏、代打・村上一治のサヨナラタイムリーで南海が勝利。

 

 

第19位 2016年 75.3pt

北海道日本ハム[●●○○○○]広島東洋

四半世紀ぶりにリーグ優勝し25年ぶりの日本シリーズ出場を果たした広島と最大17.5ゲームをひっくり返した日本ハムの組み合わせ。

日本ハムが10年ぶりの日本シリーズ制覇。広島は32年ぶりの日本シリーズ制覇を狙ったが及ばず。広島が勝った試合がいずれも1ポイント未満、日本ハムが勝った試合がいずれも1ポイント以上と両極端なカードで、後述する第3戦と第5戦で20ポイント以上を叩き出した。

 

第1戦0.0pt

第2戦0.8pt

第3戦34.7pt

第4戦5.7pt

第5戦22.7pt

第6戦6.4pt

 

 

第3戦 北海道日本ハム4x-3広島東洋 34.7(17位)

広島が2回表に、日本ハムが8回裏に逆転するというシーソーゲーム。

1回裏中田翔の遊ゴロの間に日本ハム1点先制。2回表、エルドレッドの3戦連続となる2ランHRで広島逆転。8回裏、中田翔が左越適時2塁打で日本ハムが逆転。対する広島は、1点ビハインドの9回表に安部友裕のタイムリーで同点に追いつく。

しかし逆転は出来ず延長へ、同点のまま日本ハムは10回裏、大谷翔平のタイムリーでサヨナラ勝利。広島は黒田博樹引退試合を白星で飾ることができなかった。

 

 

 

第18位 2008年 76.6pt

埼玉西武[○●●○●○○]巨人

首位に立ってから一度も陥落することなく優勝した西武と、最大13ゲーム差を逆転して優勝し、メークレジェンドを果たした巨人の対決となった

第7戦では8回表に先頭打者片岡易之死球で出塁したあと盗塁し、栗山の犠打で三塁に進むと、中島の内野ゴロでのギャンブルスタートを成功させ同点とし、その後の平尾の逆転適時打に繋げ、西武が球団名に埼玉を付けて以来初の日本シリーズ制覇。

 

 

第1戦6.7pt

第2戦27.4pt

第3戦1.0pt

第4戦5.5pt

第5戦1.0pt

第6戦0.0pt

第7戦15.0pt

 

第2戦 巨人3x-2埼玉西武 27.3(35位)

西武1点ビハインドの4回表、中島裕之が2ランHRを放って逆転。

巨人も6回裏、亀井善行のタイムリー2塁打により同点に追いつく。

そして9回裏、A. ラミレスがサヨナラソロHRを放ち、巨人が勝利。

 

 

第17位 1966年 77.0pt

巨人[○●○○●○]南海

巨人V9の2年目。後述する第5戦が史上最高のハイライトゲームで、全試合試合断トツの1位を叩き出す。

 

第1戦0.0pt

第2戦0.0pt

第3戦3.3pt

第4戦1.0pt

第5戦59.7pt

第6戦3.0pt

 

第5戦 南海4-3巨人 59.7(1位)

巨人は8回表、長島茂雄の2ランHRで先制するも、すぐに南海も小池兼司の2ランHRで追いつく。そのまま延長となり、14回表、長島のタイムリーで巨人は1点を勝ち越すが、14回裏、南海はK. ハドリの2ランHRで逆転サヨナラ勝ち。

 

 

第16位 1994年 78.0pt

巨人[●○○●○○]西武

 

長嶋茂雄監督が監督として初の日本シリーズ制覇を果たした。この年、10.8決戦を制し、優勝を果たした巨人だが、監督の長嶋は報道陣の前でシリーズに関して次の予言をし、いずれも「的中」させた。

 

「西武とのシリーズは4勝2敗でウチが勝つ。もう決まっているから」(10.8決戦での優勝決定後の会見)

「いずれにしてもこの東京ドームにまた戻ってきます」(シリーズ第2戦終了後の勝利監督インタビューで)

「今日は3-1で決めます」(優勝決定試合のシリーズ第6戦開始前の会見)

 

第1戦2.5pt

第2戦10.5pt

第3戦10.3pt

第4戦46.0pt

第5戦2.7pt

第6戦1.0pt

 

第4戦 西武6x-5巨人 46.0(2位)

巨人1点ビハインドの2回表、村田真一のタイムリー2塁打などで2点を奪って逆転。

西武3点ビハインドとなった6回裏に清原和博のソロHRで1点を取り、更に8回裏、清原のタイムリー2塁打などで3点を奪って逆転。

しかし巨人も9回表二死無走者から、代打大久保博元のソロHRで同点に追いつき延長へ。

そして12回裏、佐々木誠のサヨナラタイムリーで西武が勝利。

ただ、森監督の著書『覇道』では、大久保の本塁打で延長戦に持ち込まれたために、石井の登板、投球があり、石井を第5戦に使えなくなるというしわ寄せがきたと記されている。

 

 

第15位 1974年 78.4pt

ロッテ[●○●○○○]中日

中日は巨人のV10を阻止したことで話題になったが、シリーズの結果はロッテが第1回以来24年ぶりのシリーズ制覇となった。

なお、ロッテは当時の本拠地である仙台で開催が出来ず、仙台での開催は2013年の楽天を待つこととなった。

 

 

第1戦35.4pt

第2戦13.7pt

第3戦5.0pt

第4戦1.7pt

第5戦7.0pt

第6戦10.6pt

 

 

第1戦 中日5x-4ロッテ 35.4(13位)

ロッテ1点ビハインドの3回表、J. ラフィーバーのタイムリー2塁打などで2点を奪い逆転。中日2点ビハインドとなった6回裏、G. マーティンのタイムリーなどで同点に追いつく。9回表に山崎裕之のタイムリー2塁打でロッテは1点を勝ち越すが、その裏に高木守道のタイムリー2塁打で中日がサヨナラ勝利。

 

 

第14位 1961年 78.8pt

巨人[●○○○●○]南海

第4戦の9回裏に南海のJ. スタンカが投じたボールの判定をめぐり騒動に。

円城寺満球審に南海選手は猛抗議し、「円城寺 あれがボールか 秋の空」という句も生まれた。

 

第1戦4.0pt

第2戦1.0pt

第3戦7.7pt

第4戦42.1pt

第5戦0.0pt

第6戦14.0pt

 

 

第4戦 巨人4x-3南海 42.0(4位)

巨人1点ビハインドの3回裏、宮本敏雄のタイムリー2塁打で2点を奪い逆転。

南海は9回表に広瀬叔功の2ランHRで逆転。

しかし9回裏、2死満塁で宮本の打席のときに前述の判定での騒動が起こり(仮にストライクなら三振により南海勝利で試合終了)、

判定が覆らず、直後のスタンカの投球を宮本は2点タイムリーにし逆転サヨナラ。

このとき円城寺はスタンカに倒され、倒れたままサヨナラの走者の生還を宣告したとされる。

 

 

第13位 1980年 79.8pt

広島[●●○○●○○]近鉄

江夏の21球』で知られる前年と同じカードで、第5戦にエース鈴木啓示の力投で先に近鉄が王手をかけ、悲願の初制覇目前と思われたが、広島の底力に屈した。広島は前年も活躍した山根和夫を中心投手として据え、第4戦は完封、第7戦でも味方の逆転を呼んで2勝。シリーズ男と言われた。

 

 

第1戦31.0pt

第2戦2.0pt

第3戦15.3pt

第4戦8.0pt

第5戦0.8pt

第6戦0.0pt

第7戦2.7pt

 

 

第1戦 広島東洋4-6近鉄 31.0(25位)

初回、ジム・ライトルの2ランで広島が先制するが、5回表、小川亨のタイムリー2塁打などで3点を奪い近鉄が逆転。

しかし広島も6回裏にライトルの2本目の本塁打で同点に追いつき、8回裏に水谷実雄のタイムリー2塁打で1点を奪って逆転。

近鉄は9回表、吹石徳一の犠牲フライで同点に追いつき延長へ。

そして12回表、羽田耕一の2ランHRで逆転、近鉄がそのまま勝利した。

 

 

 

第12位 1995年 85.2pt

ヤクルト[○○○●○]オリックス

第2戦~第4戦では3戦連続で延長戦になったシリーズ。「野村ID野球仰木マジック」の対決と言われた。第4戦の11回裏にオリックス小林宏とヤクルトのT. オマリーが見せた「小林-オマリーの14球」は有名。

 

 

第1戦0.3pt

第2戦19.5pt

第3戦31.0pt

第4戦24.7pt

第5戦1.7pt

 

 

第3戦 ヤクルト7x-4オリックス 31.0(25位)

オリックス1点ビハインドの5回表、イチローの犠牲フライで同点に追いつくも、

すぐにヤクルトは稲葉篤紀の犠牲フライで1点を勝ち越す。

7回表、D. ジェニングス(D・J)のタイムリーなどで3点を奪って逆転。

8回裏にヤクルトが1点を返すと、9回裏、H. ミューレンス(ミューレン)がソロHRを放って同点に追いつき延長へ。

そして延長10回、池山隆寛がサヨナラ3ランHRを放ち、ヤクルトが勝利。

 

 

 

第11位 1958年 85.5pt

西鉄[●●●○○○○]巨人

西鉄日本シリーズ3連覇。7試合中6試合に登板し(うち4試合完投)、西鉄の4勝すべてを挙げるなど数々のシリーズ記録を打ち立てた稲尾が優勝の原動力となり「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれた。

 

第1戦0.0pt

第2戦0.0pt

第3戦8.5pt

第4戦7.0pt

第5戦35.0pt

第6戦5.0pt

第7戦0.0pt

 

第5戦 西鉄4x-3巨人 35.0(14位)

西鉄3点ビハインドの7回裏に2点を返し、9回裏、関口清治のタイムリーで同点に追いつき延長へ。

そして10回裏、4回からリリーフしていた稲尾がサヨナラソロHRを放ち、西鉄が逆転勝利。

 

 

第10位 2022年 91.4pt

オリックス[●△●○○○○] ヤクルト

令和初かつ18年ぶりの三冠王となった村上宗隆を擁するヤクルトとパリーグ投手4冠2年連続沢村賞を獲得した山本由伸を擁し、リーグ最終戦ソフトバンクが敗戦したことでマジックを1度も点灯させず逆転優勝を果たしたオリックスという二年連続の組み合わせ。前年同様接戦続きの試合1分2敗から4連勝でオリックスが前年のリベンジを果たし26年ぶりの日本一を決めた。

 

 

第1戦2.0pt

第2戦23.0pt

第3戦0.0pt

第4戦7.0pt

第5戦34.4pt

第6戦 7.0pt

第7戦 3.0pt

 

第5戦 オリックス6x-4 ヤクルト 34.4pt(18位)

ヤクルトは、初回、オスナのタイムリーで1点を先制すると、2回表、このシリーズ不調で打順降格となっていたサンタナのレフトへのソロホームランで0-2。

対するオリックスは4回裏、2アウト1,2塁から紅林、若月の連続タイムリーで同点に追いつく。直後の5回表、投手田嶋の捕球ミスのエラー等で1アウト1,3塁となると、中嶋監督は比嘉にスイッチ。ここで好調オスナを併殺に打ち取り、ピンチを脱すると、その裏、吉田正尚がシリーズチーム第1号となるライトへのソロホームランで勝ち越しに成功する。

しかし、6回表、ヤクルトは替わった近藤を攻め、2アウト2塁から長岡のタイムリーで同点。その後内野安打で2アウト1,2塁とするとベテラン青木が一塁線を破るタイムリー2ベースで逆転に成功する。その後は両チームのリリーフ陣が抑え、1点差で9回裏を迎える。

9回裏マウンドにはヤクルト守護神マクガフ。先頭安達が四球で出塁、続く福田が犠牲バントで1アウト2塁。2番・西野にピッチャー強襲のあたりで、マクガフは素早く打球を処理し一塁へ送球するもこれが悪送球となり、土壇場でオリックスが同点に追いつく。

続く3番中川圭が三振。2アウト1塁となり4番吉田正。2球目の浮いたスプリットを逃さず、ライト5階席まで運ぶこの日2本目となるサヨナラホームラン。シーソーゲームを制したオリックスが2勝2敗1分けのタイに戻した。

 

 

第9位  2021年 94.3pt

東京ヤクルト【●○○○●○】オリックス

前年最下位のチーム同士が日本シリーズを戦うという史上初の事例。(ちなみに2019年も両チーム最下位である)ヤクルトの高津臣吾監督、オリックス中嶋聡監督は共に監督として日本シリーズ初出場となるが、1995年の両チームの前回対戦時に選手として出場している。シリーズは互角という下馬評通りに熱戦続きとなった。また、第2戦にヤクルトが勝利し、セリーグの連敗記録を13で、パリーグ本拠地試合でのセリーグ連敗記録を20で止めた。セリーグ日本シリーズ制覇は2012年以来9年ぶり

 

 

第1戦32.3pt

第2戦8.0pt

第3戦6.4pt

第4戦3.3pt

第5戦16.0pt

第6戦18.3pt

 

 

第1戦 オリックス4x-3ヤクルト 32.3(23位)

オリックスの先発はパリーグ投手五冠を達成した絶対的エースの山本、一方ヤクルトの先発はシーズン後半に調子を上げ、CSでMVPを獲得した20歳の2年目奥川が務めた。序盤から両チームとも先制のチャンスを作るもあと1本が出ず、膠着状態が続いたが、6回表中村悠のタイムリーでヤクルトが先制。対してオリックスは7回裏代打モヤのソロHRで同点に追いつくも、その直後8回表無死1塁、オリックスの3番手ヒギンスから村上がセンターへ2ランHRを放ってヤクルトが勝ち越した。9回裏ヤクルトは守護神マクガフをマウンドに送るが、安打、四球、野選で無死満塁となると、2番宗が2点タイムリーで同点、さらに3番吉田正がセンターの頭を超えるタイムリーを放ちオリックスが逆転サヨナラ勝ちを収めた。

 

 

第8位  1976年 95.6pt

阪急[○○○●●●○]巨人

阪急がシリーズ連覇。3連勝からの3連敗と追い詰められながら、第7戦で勝利した。

その第7戦で6回裏に巨人に逆転されて1死満塁のピンチとなった、この日阪急先発の足立光宏が後楽園球場での巨人コールの中、

「騒げ、もっと騒げ…」とつぶやいてピンチを凌ぎ、その後逆転勝利をしたエピソードが有名。

 

第1戦8.0pt

第2戦3.0pt

第3戦0.0pt

第4戦9.5pt

第5戦1.0pt

第6戦41.7pt

第7戦2.4pt

 

 

第6戦 巨人8x-7阪急 41.7(5位)

阪急が5回表までに7点を取ってリードを取るも、巨人が5回裏から反撃。

迎えた8回裏、柴田勲が2ランHRを放ち、最大7点あったビハインドが無くなって延長へ。

そして10回裏、高田繁がサヨナラタイムリーを放ち、巨人が勝利。

文字通り、7点差を逆転したゲームである。今だったらめちゃくちゃ煽られそうである。

 

 

 

第7位  2010年 104.8pt

千葉ロッテ[○●○●○△○]中日

鉄壁の投手・守備陣を誇る中日と本塁打こそは多くないものの繋ぐ野球でリーグ3位から下剋上を果たしたロッテの対戦。

前回ロッテが日本一となった2005年の試合の映像が嫌がらせかというほどに流されたために一部の阪神ファンがネットに書き込んだ「なんでや!阪神関係ないやろ!」という言葉はこのシリーズでうまれた。第6戦は延長15回引き分けとなった。日本シリーズの引き分け試合は1986年第1戦以来24年ぶり史上7度目(平成では初)。また5時間43分の試合時間はシリーズ最長時間試合。延長15回はシリーズ最長補回試合。両チーム出場選手合計44名はシリーズ1試合での出場選手のいずれも新記録。

 

 

第1戦1.4pt

第2戦0.0pt

第3戦0.7pt

第4戦18.0pt

第5戦0.7pt

第6戦31.0pt

第7戦33.0pt

 

 

第7戦 中日7-8千葉ロッテ 33.0(20位)

前日の2-2のロースコアドローから一転して、こちらは7-7のハイスコアドローからの延長戦となった。ロッテが1回表、井口の適時打・サブローの犠飛で2点を先制したが、中日がその裏に森野・野本の適時打と谷繁の犠飛で3点を奪って逆転した。2回裏には大島の適時打、3回裏にも荒木の犠飛と大島の適時打で4点リードするが、ロッテは4回表に岡田の適時打で1点を返すと、5回表には中日2番手の河原を攻略し、今江の適時打と里崎の2点同点適時打で同点に追い付き、更に7回裏には金泰均のタイムリーで逆転。

ロッテは9回裏に守護神・小林宏を投入するが、後のない中日は先頭の和田が左中間を破る三塁打を放つと続くブランコが同点犠飛を放ち試合を振り出しに戻し、2試合連続となるシリーズ3度目の延長戦に突入した。中日は9回表から登板していた5番手・浅尾が踏ん張ったが、延長12回表、岡田幸文がタイムリー3塁打を放ちロッテが勝ち越し。そのまま逃げ切ってロッテがシリーズを制覇、史上最大の下剋上が完成した。

 

 

 

 

 

 

第6位  1950年 107.3pt

毎日【○○●●○○】松竹

第1回の日本シリーズだが、いきなり100.0ポイントを超す高得点。

6試合での100.0ポイント超は海の向こうのワールドシリーズでも1度も無い快挙。

毎日ミサイル打線水爆打線を破る結果となった。

この年はフランチャイズがまだ制度化されておらず、シリーズは1試合ごとに会場を代えて行われた。またホーム扱い(後攻め)は奇数試合が松竹、偶数試合は毎日がそれぞれ当たった。

記念すべき1試合目で延長12回までやっていきなり21.3pt(51位)を取り、

第3戦の9回逆転サヨナラで32.0pt(23位)を取るが、最大のハイライトは第6戦。

 

第1戦21.3pt

第2戦0.0pt

第3戦32.0pt

第4戦1.3pt

第5戦11.4pt

第6戦36.3pt

 

 

第6戦 毎日8x-7松竹 36.3(11位)

第1回のシリーズでいきなりサヨナラ勝利により毎日のシリーズ制覇が決定。

まず松竹が3回表までに3点を取るが、3回裏に別当薫のタイムリー2塁打などで打者一巡一挙6点を奪って毎日が逆転。

毎日は4回裏に1点を追加するが、松竹は直後の5回表に2点を取り反撃。6回表にも1点、そして8回表に三村の犠牲フライで同点とし、延長戦に突入。そして11回裏、伊藤庄七のサードへのゴロ打球を真田重男(第5戦で先発した投手。11回裏に松竹は野手を使い切り三村の代わりにサードをやっていた)が送球エラーしサヨナラ。

毎日が日本シリーズの初代チャンピオンとなった。

 

 

 

 

 

 

それでは、ここからワースト5の発表

 

第70位(ワースト5位)  1990年 9.0pt

西武[○○○○]巨人

史上最速リーグ優勝となった当時の巨人を振り切ってのスウィープ。

日本シリーズのスウィープゲームは1960年の大洋vs大毎以来30年ぶりであった。

巨人の監督藤田元司は、「(相撲に例えれば)立ち上がったら、そのまま突き飛ばされて土俵の外に出ていた」「ただあれよあれよという間に負けてしまった」

当時巨人選手会長岡崎郁が「私の野球観が変わった」との言葉を残した。

 

第1戦4.0pt

第2戦0.0pt

第3戦3.0pt

第4戦2.0pt

 

第1戦 巨人0-5西武 4.0(184位)

1回表にO. デストラーデの3ランHRで先制。一方の巨人は、先頭打者篠塚利夫が四球で出塁するが捕手伊東勤による牽制死となり、反撃の芽を摘まれた。西武は、5回表、9回表にも1点ずつ入れ巨人を突き放す。

投げては渡辺久信が巨人打線を3安打完封で締める。

 

 

 

第71位(ワースト4位)  2020年 8.2pt

ソフトバンク[○○○○]巨人

前年と同じ組み合わせとなった。新型コロナの影響で120試合の短縮、CSもパは1位と2位のみ、セリーグは開催しなかった。

ソフトバンクがV9巨人以来の日本シリーズ4連覇、前年同様のスウィープとなり、同一チームによる2年連続4戦全勝優勝とワールドシリーズにも存在しない史上初の記録を達成した。ソフトバンク日本シリーズ12連勝、ホームゲーム16連勝は過去最長記録。一方巨人はこのシリーズでチーム打率.132、16安打、21塁打、4試合で41三振の日本シリーズワースト新記録を樹立、総得点4点は4試合で決着がついた日本シリーズでは2005年における阪神に並ぶワーストタイ記録となった。

 

第1戦0.5pt

第2戦0.0pt

第3戦7.0pt

第4戦0.7pt

 

第3戦 ソフトバンク4-0巨人 7.0(124位)

3回裏に中村晃の2ランHRでソフトバンクが先制。中村は7回裏にもタイムリーを放った。投げては7回までムーアがノーヒットピッチング、8回モイネロもノーヒットで抑え、巨人は9回2アウトに丸が森から安打を放つまで無安打無得点に抑えられた。

 

 

 

第72位(ワースト3位) 2005年 7.1pt

千葉ロッテ[○○○○]阪神

 

言わずと知れた33-4。ロッテが31年ぶりの日本シリーズ優勝。

得失点差29はシリーズ史上最大で、第1戦は濃霧によるコールドゲームとなった。

阪神がこのシリーズで残した得点(4点)、防御率(8.63)、本塁打(0)の記録は、2023年現在においても日本シリーズ史上最低記録で、本塁打0のチームは日本シリーズ史上初となった。(安打22、塁打24はワースト2位)

 

第1戦0.3pt

第2戦3.5pt

第3戦0.3pt

第4戦3.0pt

 

 

第2戦 千葉ロッテ10-0阪神 3.5(212位)

1回裏、今岡の失策でロッテが1点を先制し、6回にはサブロー、フランコ、さらに2試合連続となる李承燁の3HRで5点と一気に突き放し、8回には今江、橋本にもタイムリーが出て2試合連続の10得点をマークした。今江は第1戦の4安打に続き4打数4安打、連続打席安打8の日本シリーズ新記録を達成した。投げてはロッテ先発渡辺俊介が、阪神打線を4安打無四球完封で締める。

 

 

 

第73位(ワースト2位) 2019年 6.8pt

ソフトバンク[○○○○]巨人

令和初の日本シリーズは、2000年ON対決以来の顔合わせとなった。

MVPは4戦3発のグラシアル。逆転2ラン、同点ソロ、先制3ラン(決勝点)とすべて効果的な1発を放った。

この日本一によってソフトバンクは2010年代だけでセリーグ6球団すべてを相手に日本一を達成した。一方の巨人はすべての元号(昭和・平成・令和)で4連敗スウィープを経験することとなった。(巨人の安打22、三振35はワースト2位)

 

第1戦0.7pt

第2戦0.5pt

第3戦2.6pt

第4戦3.0pt

 

第4巨人3-4ソフトバンク 3.0(228位)

4回表グラシアルが菅野から先制3ラン。対する巨人は2番手スアレスから岡本が2ランで1点差に迫る。7回表1死1,2塁で代打長谷川。打球は二塁手へのゴロになる。しかしここで、二塁手として途中出場していた山本が併殺プレーを焦ってしまい悪送球、ソフトバンクが1点を追加。その裏ここまで15打席無安打だった丸がタイムリーで1点返すも反撃はここまで。最後は守護神森が締めてソフトバンクが3連覇を達成した。

 

 

 

 

第74位(ワースト1位) 2002年 2.2pt

巨人[○○○○]西武

巨人の一方的勝利。1990年の20点差シリーズのリベンジも果たした。

33-4より5.0ptも低く、ワースト2位の2019年より4.6ptも低い

どんだけおもんなかったんや・・・・

 

第1戦0.0pt

第2戦0.0pt

第3戦0.7pt

第4戦1.5pt

 

 

第4戦 西武2-6巨人 1.5 (301位)

3連敗で後がなくなった西武はこの年15勝を挙げた西口、対する巨人は自身初の2桁勝利を挙げた高橋尚が先発した。巨人は2回表、前日に続いて「7番・一塁」でスタメンの斉藤が2ラン本塁打を放ち先制。西武も5回裏にエバンスの2ラン本塁打で追いつく

西武2点ビハインドの5回裏、T. エバンスの2ランHRで同点に追いつく。

だがその直後、西武はここが勝負どころと5回2安打2失点の西口から松坂大輔に代えたが、後藤孝志にタイムリー3塁打を打たれるなど、松坂は2回4失点で炎上。巨人に敗れ、シリーズ制覇を許した。

 

 

 

 

 

お待ちかねベスト5の発表

 

 

 

 

第5位  2003年 110.3pt

福岡ダイエー[○○●●●○○]阪神

チーム打率.297のダイハード打線が持ち味のホークスと首位を独走し18年ぶりのリーグ優勝を果たした阪神のシリーズ

全試合ホームチームが勝利し、いわゆる「内弁慶シリーズ」となった。サヨナラゲームが3試合ある。

 

第1戦22.0pt

第2戦2.0pt

第3戦21.2pt

第4戦38.7pt

第5戦4.4pt

第6戦0.0pt

第7戦2.0pt

 

 

第4戦 阪神6x-5福岡ダイエー 38.7(8位)

阪神が1回裏にダイエー先発ナイトを攻め3点を先制、直後の2回表松中信彦のソロHRで1点返すも、6回裏金本知憲のソロHRで再び3点差に。

しかし7回表にダイエーが連打で3得点し試合を振り出しに戻すと、8回表には満塁で本間満が放った打球を安藤がエラーし逆転に成功。

しかしその裏この回から登板した新垣渚から阪神はG. アリアスのタイムリーで追いついて同点。

9回表ダイエーはリガンから安打とボークと犠打で1死3塁の状況を作る。

阪神はここで守護神ジェフ・ウィリアムスを投入。松中に四球を出すが城島をサードゴロに打ち取り、沖原のバックホームで矢野が飛び出した3塁走者の出口を本塁でアウトにする。続くバルデスを三振に仕留めて無得点に抑え、絶体絶命のピンチを乗り切り、試合は第3戦に続きこのシリーズ3度目の延長戦にもつれ込んだ。

10回裏、1死から、金本知憲がこの日2本目となるサヨナラソロHRを放って、4時間10分に及ぶ死闘を阪神が2夜連続のサヨナラで制した。

 

 

 

第4位  1986年 121.0pt

西武[△●●●○○○○]広島東洋

2023年現在、史上唯一8戦までもつれたシリーズ。

第1戦引き分けのあと広島が3連勝で王手としたが、第5戦で工藤公康が延長12回にサヨナラタイムリーを放つと、そこから4連勝で西武が逆転でシリーズ制覇を果たした。

 

第1戦30.0pt

第2戦4.2pt

第3戦0.7pt

第4戦11.3pt

第5戦28.3pt

第6戦1.0pt

第7戦1.0pt

第8戦9.5pt

 

第1戦 広島東洋2-2西武 30.0(30位)

西武は2回、ブコビッチ二塁打と2つの四死球で無死満塁と広島先発の北別府学を攻め、伊東勤併殺打の間に清原和博がホームインして先制。4回には1死2、3塁から伊東がスクイズを決め、追加点を挙げた。一方、意外にもシリーズ初先発となる東尾修(過去3度はロングリリーフでの起用)に8回まで零封されていた広島は、9回一死から小早川毅彦山本浩二の連続HRで同点。延長戦は両チームとも救援投手が踏ん張り、結局延長14回引き分けに終わった。

 

 

 

第3位  1962年 127.7pt

東映[●●△○○○○]阪神

初優勝の東映と2リーグ分裂後初優勝の阪神の組み合わせ

延長戦が4試合、延長サヨナラが2試合もあるシリーズで、第3戦を引き分けた後、東映が第4戦以降を4連勝し、大川オーナーの悲願である初優勝&日本一が実現した。

 

 

第1戦27.4pt

第2戦6.0pt

第3戦24.0pt

第4戦1.7pt

第5戦30.0pt

第6戦0.3pt

第7戦23.3pt

 

 

第5戦 東映6x-4阪神 30.0(30位)

1回表、阪神は2アウトから藤本が先制2ランを放つと、その裏、東映も吉田(勝)が3ランを打ち、すぐに逆転。4回に東映が1点を追加すると、阪神は7回2アウトから吉田がレフトへの同点2塁打を放ち4-4の同点に戻し、第3戦に続いて2回目の延長にもつれ込む。試合を決めたのは11回裏の東映。岩下光一がレフトへのサヨナラ2ランHRで東映が勝利。対戦成績を2勝2敗の五分に戻した。

 

 

 

 

 

第2位  1983年 132.7pt

西武[○●●○●○○]巨人

西武ライオンズ読売ジャイアンツの激突となったこの日本シリーズは「球界の盟主の座を賭けた決戦」と注目を集めた。第3戦以降逆転に次ぐ逆転の連続で屈指の名勝負となった。視聴率は連日40パーセントを記録。

前述の2003年同様、こちらもサヨナラゲームが3試合もある。

西武の広岡達明監督は自分を追い出した巨人へのリベンジを果たした。

 

第1戦0.0pt

第2戦3.5pt

第3戦29.4pt

第4戦9.7pt

第5戦24.0pt

第6戦41.1pt

第7戦5.0pt

 

 

第6戦 西武4x-3巨人 41.1(6位)

巨人が1回表、原のタイムリーで先制するも、西武は5回裏に石毛のタイムリー3塁打で同点、さらに6回裏の大田卓司のソロHRで逆転。

西武の先発杉本は1回に先制を許すものの、2回以降は巨人打線を完璧に押さえ込む。一方、巨人は槙原-鹿取-加藤とつなぐ。

杉本は9回表1死から篠塚、原に四球を与えて1,2塁となる。スミスを討ち取って2死とするも、次の中畑清のタイムリー3塁打を許し、巨人が再逆転する。

9回裏、この回を抑えれば日本一となる巨人は第5戦で完投した西本を投入する。1死から3連打で1死満塁とすると続く石毛の打球は遊撃手石渡茂が外野へ抜けるのを止めるのが精一杯という内野安打となり、同点となる。しかし、西本はここからなお続く1死満塁のピンチを凌ぎ、このシリーズ初めての延長戦に突入する。

10回表巨人は無死1,2塁のチャンスを作るも得点できず、その裏江川をマウンドに送るも

そして10回裏、2死1,2塁から金森栄治が前進守備のレフトの頭を超えるタイムリーで西武がサヨナラ勝ち。

 

 

 

第1位  1992年 139.0pt

西武[●○○○●●○]ヤクルト

このシリーズが始まる前、1986年以降の6年間で5回のシリーズ制覇を果たした森祇晶監督でさえ、「このときほど先の見えない厳しい戦いを強いられたことはなかった」と発言したシリーズ。2位に大差を付けて早々と3年連続の優勝を決めた西武に対し、ヤクルトは4球団が優勝を争う大混戦をシリーズ開幕の1週間前に辛うじて制しての優勝であった。このため、戦前の予想は圧倒的に「西武有利」「ヤクルト劣勢」であったが、シリーズ7試合中4試合が延長戦で、西武が王手をかけた後の第5戦から残り3試合すべて延長戦という熱戦となった。

 

 

第1戦39.7pt

第2戦4.0pt

第3戦0.0pt

第4戦6.5pt

第5戦17.0pt

第6戦36.1pt

第7戦10.7pt

 

 

第1戦 ヤクルト7x-3西武 39.7(7位)

2回表に西武がデストラーデのソロHRで1点先制するも、ヤクルトは3回裏、先頭の笘篠賢治が右前安打、一死から飯田哲也の適時二塁打で同点に追いつき、続く荒井幸雄の安打で走者の飯田が捕手伊東勤のタッチを巧妙に掻い潜るスライディングで生還し逆転に成功。その後6回裏に古田がソロHR、7回表にデストラーデがこの日2本目のソロHRで互いに1点ずつ取り合う。9回表、西武は一死1.3塁から石毛宏典の犠牲フライで同点に追いつく。

そのまま延長に入り12回裏、この回3イニング目となる鹿取を攻め、一死満塁の好機を作ると、代打・杉浦享がシリーズ史上初で2023年現在唯一となる代打サヨナラ満塁HRを放ち、ヤクルトが勝利。

ヤクルトの岡林洋一は161球を投げ、12回を完投した。

ちなみに杉浦は当初この年限りで引退を決意していたが、今シリーズ終了後に野村克也監督からの慰留により引退を撤回、

翌年、チームの日本シリーズ制覇を花道に引退した。

 

 

 

 

まとめ

1位 1992年 西武-ヤクルト139.0pt

2位 1983年 西武-巨人132.7pt

3位 1962年 東映阪神127.7pt

4位 1986年 西武-広島121.0pt

5位 2003年 ダイエー阪神110.3pt

6位 1950年 毎日-松竹107.3pt

7位 2010年 千葉ロッテ-中日104.8pt

8位 1976年 阪急-巨人 95.6pt

9位 2021年 ヤクルト-オリックス94.3pt

10位 2022年 オリックス-ヤクルト91.4pt

 

 

 

名試合ランキング

第1位 1966年第5戦 59.7pt 南海4x-3巨人(延長14回)

第2位 1994年第4戦 46.0pt  西武5x-4巨人(延長12回)

第3位 2009年第5戦 42.5pt 巨人3x-2日本ハム

第4位 1961年第4戦 42.1pt 巨人4x-3南海

第5位 1976年第6戦 41.7pt 巨人8x-7阪急(延長10回)

第6位 1983年第6戦 41.1pt 西武4x-3巨人(延長10回)

第7位 1992年第1戦 39.7pt ヤクルト7x-3西武(延長12回)

第8位 2003年第4戦 38.7pt 阪神6x-5ダイエー(延長10回)

第9位 1977年第3戦 37.0pt 巨人5x-2阪急(延長12回)

第10位 1981年第1戦  36.6pt 日本ハム6x-5巨人

 

第11位 1950年第1戦  36.3pt 毎日8x-7松竹(延長11回)

第12位 1992年第6戦  36.1pt ヤクルト8x-7西武(延長10回)

第13位 1974年第1戦 35.4pt  中日5x-4ロッテ

第14位 1953年第1戦  35.0pt 南海4x-3巨人(延長12回)

第14位 1958年第5戦  35.0pt 西鉄4x-3巨人(延長10回)

第14位 1988年第5戦  35.0pt 西武7x-6中日(延長11回)

第17位 2016年第3戦  34.7pt 日本ハム4x-3広島(延長10回)

第18位 2022年第5戦  34.4pt  オリックス6x-4 ヤクルト

第19位 1957年第2戦 33.7pt  西鉄2x-1巨人

第20位 2010年第7戦  33.0pt ロッテ8-7中日(延長12回)

第20位 1970年第1戦  33.0pt  巨人1x-0ロッテ(延長11回)

 

第22位 2017年第6戦  32.7pt ソフトバンク4x-3横浜DeNA(延長11回)

第23位 2021年第1戦 32.3pt オリックス3x-2東京ヤクルト

第24位 1950年第3戦  32.0pt  松竹7x-6毎日

第25位 1980年第1戦  31.0pt  近鉄6-4広島(延長12回)

第26位 1995年第3戦  31.0pt ヤクルト7x-4オリックス(延長11回)

第27位 2010年第6戦  31.0pt  中日2-2ロッテ(延長15回引き分け)

第28位 2012年第5戦  31.0pt  日本ハム1x-0巨人(延長12回)

第29位 1971年第3戦  30.2pt  巨人3x-1阪急

第30位 1962年第5戦  30.0pt  東映6x-4阪神(延長11回)

第30位 1986年第2戦  30.0pt  西武2-2広島(延長14回引き分け)

 

 

熱戦度ランキング(各試合ポイント÷試合数)(試合数ptや王手ptを含まない)

第1位 1950年 17.05pt

第2位 1992年 16.29pt 

第3位 1962年 16.10pt 

第3位 1983年 16.10pt 

第5位 1995年 15.44pt 

第6位 2021年 14.05pt 

第7位 1970年 13.08pt 

第8位 2003年 12.90pt 

第9位 1974年 12.23pt 

第10位 1994年 12.17pt 

 

 

ワースト

第1位 2002年 0.55pt

第2位 2006年 1.36pt 

第3位 2019年 1.70pt 

第4位 2005年 1.91pt 

第5位 1993年 1.97pt