バルバロムの思考迷路

思ったことを書く。いいことも悪いことも。要は掃き溜め

暑くなってきて、夏が嫌いだと再認識する日

去年の今頃はまだことしは涼しいなあと思いながら、風を感じてたが、

今年は暑い・・2年前と同じような気候だ

 

こうなると、自然と冷風を届けてくれる人類の英知の機械に手を伸ばしてしまう。

ただそこまで外気温との差が変わらないので、想像より涼しくは感じない。

(まあ涼しいのは涼しい)

 

 

私は夏が嫌いである。

暑いし、汗をかく。汗をかいたときのあのべたべた感が特につらい。

夏はイベントに事欠かない。夏祭りに花火、海水浴にBBQ

 

もうお分かりだろう。

陽キャだらけのこういったイベントが苦手なのだ。

人込みがしんどいし、なぜ、炎天下の外で面倒くさい準備をして肉を焼かねばならないのか。外で火をつけて騒ぎながら肉を焼く。やってることは原始人とほぼ変わらない。

 

夏祭りだって大した商品でもないものやほかで買った方が安いしうまいタコ焼きやらなんやらを割り高に売られて搾取されている。

 

と、ここまで辛らつに連ねてきたが、小さいころは夏は嫌いではなかった。

むしろ好きの部類であったはずだ。

成長するにつれて陰が進み、誰からも誘われることなく、クーラーの効いた部屋で花火の音だけを聞くこととなった夏

好きが羨望に変わり、いつの間にか嫌悪に変わっていた。

これは、一種の防衛機制であろう。

 

夏に対して何も考えてなかった中学生の頃に、フロイトによる理論であると学んだ気がする。

 

今年の夏は、新型コロナの影響で幾何か静かになりそうだ。が、不思議とそれに対して、

残念だという気持ちが強い。

 

やはり夏は、喧しい海の人々の声、人々でにぎわい、帰りに渋滞する夏祭り、遠くで聞こえる花火の音、テレビから流れる高校野球、そんな情景が心地よいし、

そういった風物詩を尻目に涼しい部屋で過ごす自分の夏が好きだった。

 

さいころ夏休みは、まるでユートピアであった。宿題はあったが、特に難しくもなく、

祖母の家に行ったり、ゲームしたり、プールに行ったりと・・ほぼ遊んでいた。

さらに、友達や自分の家で友達とゲームしたあの時間が一番好きだった。

 

あの頃は、今よりも世間知らずで、今よりも人生を楽しんでいた気がする。

 

 

そんな記憶を冷房のリモコンを手にしたときにふと思い出す。

しかし、時は確実に流れ、現実は厳しく暑苦しく立ちふさがる

今日も私は、微妙に暑い事務室の中で、PCの画面に映る数字と格闘するのである。

 

 

今日も自転車で職場へと向かう。やはり思う。「夏が嫌いだ」と

 

 

風鈴の音、2階から見た花火の光、炎天の中のプール、祖母が作った卵焼き

五感のすべてが刺激されていた日々。

 

小学生のころ、無限とも思えたあの夏休みの日々は、もう戻ることはない。