バルバロムの思考迷路

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なぜ信長は死に際に敦盛を踊ったか

どうも、バルバロムです。日常にふと思いついた疑問を考えていこうのコーナーのやつです。

今回は、「なぜ信長は死ぬ間際に敦盛を踊ったのか」です。

 

ここでは、歴史的な論評は一切行いませんので、学術的なことを期待している方はブラウザバックしてください

 

そもそもなんで燃え盛る炎の中、踊っててしかもみんな死んでるのに踊ったこと伝わってんだよと思いますがそこらへんはスルーしていきましょう。

 

昨年の大河ドラマ麒麟が来る」は明智光秀が主人公として描かれましたが、その明智光秀が起こした最大の事件と言えば、本能寺の変ですよね

1582年、時の権力者となった織田信長を家来である明智光秀が裏切り、信長が宿泊する本能寺を攻め、信長を最終的に自害に追い込んだという事件。この件で光秀は一躍、日本三大裏切者の一員となりました。(もう1人は関ヶ原合戦で西軍を裏切った小早川秀秋、もう1人は確定していません)

この時に、信長が燃え盛る本能寺の中で舞ったとされるのが敦盛です。

 

敦盛とは、室町時代に流行した幸若舞という語りを伴う曲舞の演舞の1つで、平敦盛を題材にしたものです。能で同じく「敦盛」がありますがこれとは別のもののようです。

 

そもそも敦盛ってどんな話なんでしょうか

ググって調べたものによると

源平合戦の一戦である一ノ谷の戦いで、平家軍は源氏軍に押されて敗走をはじめる。 若き笛の名手でもあった平敦盛は、退却の際に愛用の漢竹の横笛を持ち出し忘れ、これを取りに戻ったため退却船に乗り遅れてしまう。敦盛は出船しはじめた退却船を目指し渚に馬を飛ばす。退却船も気付いて岸へ船を戻そうとするが逆風で思うように船体を寄せられない。敦盛自身も荒れた波しぶきに手こずり馬を上手く捌けずにいた。

 

そこに源氏方の熊谷直実が通りがかり、敦盛を目にすると、一騎討ちを挑む。敦盛はこれに受けあわなかったが、直実は一騎討ちに応じなければ兵に命じて矢を放つと威迫した。一斉に矢を射られるくらいならと、敦盛は一騎討ちに応じた。しかし実戦経験の差で劣る敦盛はほどなく捕らえられてしまう。

 

直実がいざ頸を討とうと組み伏せたその顔をよく見ると、かなり若そうだったので、名を尋ると、、まだ16歳の平敦盛であると知る。直実の子供は同じく16歳でこの戦いで戦死したばかり、我が子の面影を重ね合わせ16歳の若武者を討つのを惜しんでためらったが、仲間に怪しまれ、「なんで討たない、裏切る気かお前もろとも討ち取るぞ」と言われたので仕方なく敦盛の首をはねた

 

合戦は源氏方の勝利に終わったが、若き敦盛を討ったことが直実の心を苦しめる。合戦後の褒美もいまいちで同僚武将との領地争いも不調、翌年には屋島の戦いが行われることになり、また同じ苦しみを味わうことになるのかと世の無常を感じるようになり、出家を決意して世をはかなむようになる。

 

 

その直実が出家して世をはかなむ中段後半の一節に、

 

思へばこの世は常の住み家にあらず

草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし

金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる

南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり

人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり

一度生を享け、滅せぬもののあるべきか

これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ

 

という詞章があり、この節を織田信長が特に好んで演じたと伝えられている。

 

よく「(当時の平均寿命から)人の一生は五十年に過ぎない」という意味と考えられるが、実はそうではなく、「人の世の50年は、下天の1日であり、夢幻のようでなものである」という意味である

 

「下天」とは、六欲天(天上界のうち欲に囚われている世界)の最下位の世で、一日は人間界の50年に当たり、住人の定命は500歳とされる。この一節は天界を比較対象とすることで人の世の時の流れの儚さについて説明しているだけで、人の一生が五十年と言っているわけではないというわけである。

 

 

 

 

じゃあなぜ死に際に踊ったのか???

 

①最後に自分と言えばコレというものをやって死にたかった

よく解散や引退するアーティストが最後のライブを行うとき、最後の曲は、代表曲だったりしますよね。それと同じように、信長といえば、敦盛みたいな感じで最後に舞って満足したかったのかもしれませんね。(まあカバーですけど・・・May.Jが引退するときに「Let it go」歌うようなもんですかね)

 

 

②燃えてる中舞ってたらかっこいいから

自身のことを第六天魔王と自称したともいわれる信長。セルフプロデュースの面で長けていたと言えるでしょう。そういう面で自身の死後の評価も考え、普通に焼死や腹切りではなく、燃え盛る炎の中、優雅に舞ったとしたかったのではないでしょうか

 

 

③​アーチーチーwwアーチーww燃えてるんだwww廊下ww

 

④イライラがピークに達して

寝ているときに自身の家来が謀反を起こしたらキレますよね?

そのイライラのぶつける先をこの舞にしたのではないでしょうか。現代でもストレス発散でカラオケなどに行きますよね?それと同じようなものなのではないでしょうか。

 

また敦盛自体も「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」と憂いつつも。最後の行に「これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ」とあります。

「ここで死ぬのは天の定めであったとしても、悔しい限りだ」ということで、「天下統一まであと少しなのに、なんでここで死ななあかんねんふざけんな」という思いがこの敦盛の詞と共鳴しています。

 

⑤ルーティーンだった

信長は、戦の前によくこの敦盛を踊ったとされています。すなわち戦いの前に舞うのがルーティーンだった。本能寺で炎の中舞ったのは、自身の死を憂う舞ではなく、「よっしゃこれから戦うぞ」の舞だったのではないだろうか

 

 

 

 

さて何個か理由を考えてみました、ただそもそも幸若舞は謡を重要視していたものらしく実際に舞ったかどうかは定かではないらしいですが、炎の中舞うというのはやはり神秘的なものを感じますよね。死に際の敦盛は、現代の信長人気の一端を担っていると考えられます。

 

自身の死に際もただぽっくり逝くのじゃなくなんか名言っぽいの残して逝きたいですよね

というか死にたくないですね。目指せ不老不死!